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Shiga University of Medical Science Department of Cardiovascular and Respiratory Medicine

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滋賀医科大学 呼吸循環器内科
滋賀医大 附属病院
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  教授挨拶
第26回滋賀医科大学呼吸循環器内科同門会に寄せて
滋賀医科大学 呼吸循環器内科 教授 堀江 稔

2012年1月7日

みなさま、あけましておめでとうございます。
同門会の先生方におかれましては、多忙かつ充実した2012年のスタートを切られたことと拝察申し上げます。昨年は、3月に日本中が深い悲しみに突き落とされるマグニチュード9震度7強という大地震また東北沿岸では30mを超える大津波に襲われ多くの尊い命が奪われました。さらに、福島第一原子力発電所の水素爆発とメルトダウンにより深刻な放射能汚染が全国に広がりました。この事故が天災なのか人災なのかはさておき、日本は未曾有の大災害に見舞われました。2万人をこえる犠牲者の方々に心から哀悼の意を捧げたいと思います。いまだ東日本の復興は継続中であり、これからどれくらいの時間が必要なのか想像を絶しますが、17年前、関西に居て神戸の大震災を経験した一人として少しでも復興に貢献できればと願うばかりです。このような中で、災害直後、ドイツの女子サッカーワールドカップで、なでしこジャパンが、アメリカを破り奇跡的な世界一を獲得した快挙は落ち込んだ我々の心に希望と勇気の風を送り込んでくれました。

さて、今年も同門会総会の季節がやってきました。同門会の先生方には常日頃より、教室の運営に格別なご支援を頂き誠にありがとうございます。この場をお借りして御礼申しあげます。今回、呼吸循環器内科学同門会は第26回を迎え、いよいよ、四半世紀の歴史を経ることになりました。また、教室創設からは37年目となり教室員も250名を越えました。われわれの教室は旧第一内科であり、滋賀医大のなかで最初に作られた臨床講座ということもありますが、大変大きな教室となりました。大学のなかで働く関係者も60名以上となります。私事ですが、医大に奉職させていただき今年で10年目を迎えます。大きな事故もなくここまで来られましたのも、ひとえに同門会の先生方の温かいサポートとご協力のお陰と存じます。改めてお礼申し上げます。 現在、教室のこの10年間のあゆみを本としてまとめるべく準備中で、来年の同門会までにはお配りできる予定です。

この半年間の教室や滋賀医科大学の動きについて紹介します。今春から、新たに後期研修医として5名の新人と卒後6年目の1名、8年目の1名、計7名が入局する予定であります。この後の懇親会の場でも自己紹介があると思います。大学院に関しては、社会人入学制度が浸透し、最初の1年目は赴任先病院で勤務するというかたちが定着しました。一方、大学院は、この1月より新潟大学から内地留学されている長谷川奏恵先生だけです。関連病院でのスタッフ不足で、大学院にもどせないのが実情です。全国的な医師不足の波は、当教室でも由々しき問題です。同門会の先生方には、いよいよご迷惑をかけますが、われわれ大学のスタッフもひとりでも多くの若者を教室に勧誘しております。今後とも温かい目で、ご指導・ご支援のほどお願い致します。

病院再開発は、いよいよ今年(2012年)で終了し、5月には大学主催で完成祝賀会が行われます。外来も呼吸循環器の内科外科の4つの診療科が、外来棟2階のひとつのエリアで診療を行っており、病棟とともに臓器別システムを完結できました。これで、フットワークの軽い連携のとれた診療体制が進むものであり、従来の大学病院にはなかった形となっております。紹介患者数も増加し、呼吸循環器内科とも入院患者数は増加しております。また、循環器においてはdrug-eluting stent(DES)の出現後、多くの病院で減少してきている冠動脈インターベンション数が逆に増加しており、不整脈関連のカテーテル数やデバイス治療と併せて、忙しい診療科となっております。また、呼吸器内科も大変忙しい診療科になっています。常に満床近い入院病床の多くは肺癌患者さまで、ここでも日本の高齢化が反映されております。滋賀医大に診療科としての呼吸器内科が長らく無かったことも一因で、滋賀県には圧倒的に呼吸器内科医がおらず、したがって多くの患者さんが大学に集中しているのが現状です。この10年のあいだいに大学内の呼吸器内科医はやっと10人を越えて診療科として格好がついてきましたが、これから関連病院も含めて呼吸器内科を発展させるため、さらに若い人をリクルートする必要を感じます。

今後も、バランスのとれた呼吸循環器内科診療を目指して努力する所存でありますので、旧来に変わらぬご支援のほどお願い申し上げます。

さて、少し研究の話ですが、昨年末、大学院を終えて医大で特任助教をしたあと、アメリカに2年近く留学していたDimitar Zankov先生が戻ってきて、セミナーをしてくれました。実は彼自身の就職にも関連した講演でしたが、その中でも、現在のアメリカでの研究状況が非常に厳しいことを話してくれました。若手の研究費申請で採択率は、約10%しかないこと、大型の研究費もどんどん削減されており、これらのグラントに給与が依存している多くの研究者とくにアメリカ国内にさしたる基盤を持たない留学生たちが、日々の生活にも困る状況が出始めているようです。翻って、日本の状況を見ますと文科省科学研究費の採択率は、種類にも依りますが20%前後のようです。しかし、その多くは大工場のようなラボを有する旧帝国大学の研究者に割り当てられ、このような拠り所のない、若くて有意な研究者が、大きな潜在能力と強いmotivationを持っていても、自分のしたい研究ができない状況が起こりつつあるように思います。これは実は昨日今日に始まったことではないようにも思いますが、冒頭でも述べた東日本の大災害の影響で、いよいよ研究費の総額が縛られる中で、一番、最初に影響を受ける若い研究者に必要最小限の研究費を提供できるシステム作りが急務ではないかと思います。

さて教室の研究ですが、現在、伊藤英樹先生が留学しているパリ第6大学のPascale Guicheney先生、またこちらで一年間イオン・チャネル病の勉強をしてアムステルダム大学に留学した水澤有香先生のいるラボのArthur Wilde先生、イタリアPavia大学のPeter Schwartz先生たちとの共同研究が続いています。伊藤先生は、パリで分子遺伝学の多様な方法論を身につけて、メンデルの法則に従わない病気の遺伝における性差の問題を研究していますし、もうひとつの共同研究テーマである、SNPとQT延長の重症化についての論文は、現在投稿中です。この春から医大に戻ってこられますが、新たな視点で、若手の研究指導をしてもらいたいと考えています。水澤先生は、むこうで大学院生になられ、ずっと臨床データの解析を担当されていたようですが、最近になってやっと実験も始められるようになったとのことです。彼女の博士論文発表会(いわゆるdissertation defense)には、評価委員としてオランダに行くことになっています。

私自身も昨年カリウム・チャネル病の総説をCirculation Research誌から頼まれ、この研究分野で長年の盟友である循環器病センターの清水渉先生と一緒に、まとめる機会が与えられました。1985年に初めて国立生理学研究所で研究を始めたのが、ATP感受性カリウム・チャネルで、その後、ずっとこのカリウム・チャネルを中心に仕事をしてきましたので、この総説はひとつの節目になる「まとめ」と考えております。また、この関連かもしれませんが、アジアとヨーロッパとアメリカの3つのHeart Rhythm学会が共同して心臓イオン・チャネル病のガイドラインを提案することになり、そのアジア太平洋Heart Rhythm学会の代表として参加することになりました。大変名誉なことですが、その仕事量の多さを聞いて少し引いているというのが現状です。

さて、どの分野であれ研究は今や個人レベルで進められる時代ではありません。多様な方法論や異なる分野の優秀な人材が集まって、ひとつの施設だけではなく世界にネットワークを拡げて行う必要があります。昨年は、林秀樹先生や大野聖子先生の非常なご努力でリサーチセミナーが定着してきました。大変、喜ばしいと思っています。また、私はこの機会を利用して、海外からの研究者を含めて自分の人脈でできるだけ他分野の研究者によるセミナーを特別講演として企画いたしました。今後も続けていきたいとおもいます。教室のHome Pageに逐一案内を掲示しますので、同門会の先生に限らず、ご興味のある方は是非ご参加ください。

ながながと書きましたが、今年も皆様にとって必ずや良い年になりますよう心から祈念して、稿を終えます。

(2012年1月7日)
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同門会誌『創造』第24巻発刊に寄せて
滋賀医科大学 呼吸循環器内科 教授 堀江 稔

2011年5月5日

3月11日午後2時46分頃、わたしは予定であった浜松市医師会の講演会に行くため、車で自宅に向かっていました。そのため、幸い関西でも感じた『めまいか』と思うような、時間の長いゆっくりとした、何か非常に嫌な感じのする揺れを自覚することは無かったのですが、車のラジオで東北地方の大規模地震の第一報を聴きました。帰宅して、テレビで 津波の映像を見て、強い衝撃をうけました。津波に飲み込まれ、あるいは炎上して多くの街が壊滅していく映像をみて言葉を失いました。逃げる車や、建物の屋上にいる人間が押し寄せる津波と共に消えてしまった映像が頭から離れません。報道の威力をまざまざと見せつけられ、その時点で静岡での講演会などとんでもないと悟りました。
被災された皆様には、心よりお見舞いを申し上げます。また、お亡くなりになられた方々の御冥福と、被災地域の1日も早い復興をお祈り申し上げます。あとになって東日本大震災と呼ばれることになった今回の天災は、地震そのもの規模もさることながら巨大津波を誘発し、さらに福島第一原子力発電所の事故に連鎖しました。まさしく未曾有の災害であり、その被災地域だけをみても、阪神大震災に比べようのないものです。このような社会状況の中、夏の第9回滋賀呼吸循環器フォーラムの開催について慎重に検討を重ねてまいりました。関係各方面と協議した結果、やはり自粛ではなく呼吸循環器フォーラムを予定通り開催することで、日常診療の向上・情報交換を行うことが重要であるとの結論に達しました。例年、フォーラムの時にお配りしている同門会誌『創造』も、いつも通り用意することができました。


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本誌が配られる第9回フォーラムの時点では、すでに2011年も半年が過ぎ、滋賀医科大学呼吸循環器内科同門会の皆様におかれましては、多忙かつ充実した毎日をお過ごしのことと拝察申し上げます。日頃より、同門会活動には格段のご支援をいただき誠にありがとうございます。あらためて、この場をお借りして御礼申しあげます。現在、進行中の大学病院の再開発も、いよいよ折り返し点を過ぎて、この5月からは外来部門も臓器別に統合しました。すなわち、呼吸循環器の内科外科の合同外来になります。これにより、内科外科の垣根を越えた心臓病センターあるいは呼吸器病センター的な外来となります。病棟ではすでに3年前から呼吸内科は胸部外科と循環器内科は心臓外科と同じ病棟(それぞれ3階新C・D病棟)で診療を行っており、患者様の面からも卒後研修の意味からも充実した診療が展開できております。
さて、今回、教室にとっても大きな快挙ですが、蔦本尚慶先生が4月から豊郷病院の病院長として就任されました。豊郷病院は、滋賀医大の旧第一内科で長らく呼吸生理の講義を担当されていた京大胸部研究所の教授であった佐川先生、さらに滋賀医大の泌尿器学教授であった友吉先生、さらに京大呼吸器外科ご出身の佐藤先生が歴代の院長をされており、当大学との関係も非常に深い病院です。教室からも現在2名のOBが循環器内科に赴任しています。今般、ご縁があって蔦本先生に新病院長の白羽の矢が当てられたわけですが、考えてみますと、3つの滋賀医大内科学教室の大学出身OBで病院長に就任するのは、彼が初めてではないかと思います。この意味からも大変な快挙であり、さらに若い世代の先生方に対する大きな励ましとなると思います。この同門会でも、ぜひ皆でお祝いをしたいと思います。
さて、栄転の話は続くもので、松本鉄也先生が4月から大阪教育大の教養学科健康生活科学講座の教授に就任されました。かなり急な話で、教授選考で最終候補に残ったと聴いたのが昨年末で、年明けすぐに決まりました。2月はじめの同門会の私の挨拶文には、この朗報を載せることができないくらいのスピード決定でした。以前より教育職での活躍を希望されており、いよいよその念願かなって、教育学の学生さんたちに医学や生命科学の講義をされることになりました。先生の含蓄ある歴史話を近くで聞けなくなるのは残念ですが、今までの研究を続けられる立場にあるとのことで、教室としても全面的に協力させていただきたいと考えています。
あらためて、蔦本先生、松本先生、おめでとうございました。お二人には旧第一内科そして呼吸循環器内科教室の発展に大変貢献していただきました。この場をお借りして御礼を申し上げるとともに、くれぐれも健康に気を付けられて新天地での益々のご活躍をお祈りします。

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2011年、滋賀医科大学呼吸循環器内科同門会に寄せて
滋賀医科大学 呼吸循環器内科 教授 堀江 稔

2011年1月6日

あけましておめでとうございます。このご挨拶が配られる恒例の同門会の時点では、すでに1月が既に過ぎておりますが、滋賀医科大学呼吸循環器内科同門会の皆様におかれましては、多忙かつ充実した2011年をお迎えのことと拝察申し上げます。日頃より、同門会活動には格段のサポートをいただき誠にありがとうございます。あらためて、この場をお借りして御礼申しあげます。現在、進行中の大学病院の再開発も、いよいよ折り返し点を過ぎて、今春からは外来部門も臓器別に統合して、呼吸循環器の内科外科合同の外来になります。これにより、内科外科の垣根を越えた心臓病センターあるいは呼吸器病センター的な外来となります。病棟ではすでに3年前から呼吸内科は胸部外科と循環器内科は心臓外科と同じ病棟(それぞれ3階新C・D病棟)で業務を行っており、患者様の面からも卒後研修の意味からも充実した診療が展開できています。

さて、今回、教室にとっても大きな快挙ですが、蔦本先生が4月から豊郷病院の病院長として赴任されることが決まりました。豊郷病院は、滋賀医大の旧第一内科で長らく呼吸器内科の講義を担当されていた京大胸部研究所の教授であった佐川先生、さらに滋賀医大の泌尿器学教授であった友吉先生、さらに京大呼吸器外科ご出身の、現在の佐藤先生が歴代の院長をされており、当大学との関係も非常に深い病院です。教室からも現在2名のOBが循環器内科で赴任されています。今般、ご縁があって蔦本先生に新院長の白羽の矢が当てられたわけですが、考えてみますと、3つの滋賀医大内科学教室の大学出身OBで病院長に就任するのは、彼が初めてではないかと思います。この意味からも大変な快挙であり、さらに若い世代の先生方に対する大きな励ましとなると思います。この同門会でも、ぜひ皆でお祝いをしたいと思います。

昨年5月以降の人事について、少し言及しますと、呼吸器内科で活躍いただいた大澤先生が、ご実家に近い古巣の草加市民病院に戻られ、赤穂市民病院から山口先生将史先生に来ていただきました。循環器内科では病棟医長として大変多忙であった高島先生が市立長浜病院に、心カテ強化のために出られました。聞くところによると、赴任後の半年でPCI症例数をさらに増やしたとのことで、先生の底力を感じました。また、豊橋ハートセンターでアブレーションやデバイスの経験を積んできた小澤先生、さらに公立甲賀病院からは酒井宏先生が大学に戻って来られて、にぎやかになりました。C・D病棟では病棟医長の長尾先生(呼吸器)、山本先生(循環器)や6人の後期研修医諸君の大変な頑張りがあり、今春からの新後期研修医はいまのところ5名が内定をしています。全国の研修病院でも現在、話題になっている後期研修医の留まり率からいうと、何とか人材が残っているほうではないか思いますが、まずは大学にマッチングで残ってもらわないと話が始りません。向後もOBの先生方のご病院で、滋賀医大生がいろいろとお世話になるかと思いますが、ぜひとも、大学での初期研修をお薦めいただけるようお願いします。

また、これも私の赴任後、初めてで現在、救急集中治療で活躍の辻田先生以来のことなのですが、伊藤英樹先生が今月から、パリ大学に留学されることになり、この同門会の行われる頃には、もうパリでの新生活を始めてられていると思います。留学先は、サルペトリエール病院を併設するパリ第8大学(Pierre et Marie Currie)のGuicheney教授のところで、分子遺伝学が専門です。循環器病を遺伝学の面から見直す良いチャンスです。以前のこの欄で、留学熱の低下について話をしましたが、留学の内容は研究のみではありません。家族もご一緒ということで、ぜひ、いろいろと楽しんできてほしいと思います。

彼の留学には、昨年8月まで1年間、研究に来られており、現在、アムステルダム大学循環器内科、Wilde教授のところに留学中の水澤有香先生からの影響もあったのではないでしょうか。彼女の留学熱が、伊藤先生にも少し感染した感があります。ところで、昨年12月初めに共同研究者の主催する小さな会がフランス大西洋岸のNantes(世界史で習った個人の信仰の自由を認めたナントの勅令のナント)であったので、その帰りにアムステルダム大学に寄って水澤先生に会って来ました。本当に楽しそうに研究の話しておられ、向こうの生活が本当に合っているようでした。ブルガダ症候群のハプロタイプ解析で人種差の問題を調べてみるという共同研究プランも企画できました。また、旧知のWilde教授とも会って来ました。彼に連れて行ってもらった、日本でいうと江戸時代末期に建てられた建物の一階にある、古色蒼然としたPub(イギリス風の呼び方ですが、オランダではなんというか知りません。雰囲気はPubに似ています)で撮った写真を掲載します。

新しい2011年が、皆様にとって、有意義でさらに飛躍の年でありますようお祈りして本稿を終わりたいとおもいます。

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留学熱と国語力の低下は関係あるのだろうか?
滋賀医科大学 呼吸循環器内科 教授 堀江 稔

2010年5月24日

同門会の季節がやってきました。今年は例年よりも少し早く1月中の開催となりました。同門会の先生方におかれましては、多忙かつ充実した2010年をスタートされたことと拝察申し上げます。また、常日頃より教室の運営には格別なご支援を賜り誠にありがとうございます。この場をお借りして御礼申し上げます。呼吸循環器内科学教室の前身である第一内科講座が開設されたのが1975年(昭和50年)4月ですから、今年は創設35年目となり人間で言えば壮年期を迎えることになりました。いわば、働き盛りの年齢です。

さて、今年は、まず悲しいお知らせをしなければいけません。教室OBの第二岡本総合病院副院長 真城 巌先生におかれましては、かねてよりご闘病中のところ、薬石効なく去る1月7日に逝去されました。先生は、当教室の黎明期から、教室の運営に参画いただき、多くの優秀な医師を育て、また昭和61年に岡本病院に赴任された後も、教室からの若手ドクターを多数指導いただきました。お元気な頃、お会いする度に、教室出身の先生が病院で如何に活躍しているかを誇らしげに話しておられたのを印象深く覚えております。本同門会誌第一巻は昭和62年に出ていますが、その中で真城先生は、ご自身の履歴と新しい病院での循環器科創設に関してご自分のポリシーを披露されています。その後の先生が歩まれた医師としてのお姿を見てみますと、まさしく、そのお考えを具現されたと思います。教室ならびに同門会におきまして長きにわたりご尽力を賜りましたことを厚く感謝申し上げます。改めて、先生の功績を称え心よりご冥福をお祈り申し上げます。
合掌。

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毎年、夏の呼吸循環器フォーラムのときに、会誌「創造」を出版することになっていますが、今年も無事に皆様にお届けすることができます。ちょうど、開設36年目を迎える今春、われわれ呼吸循環器学教室は6人の後期研修医を迎えました。この項でも以前から取り上げてきたように新研修制度が始まってMajor科離れが激しいなか、多くのメンバーを迎えることができ、内心、ほっとしております。今度は、彼らが次の学年、次世代の初期研修医を勧誘してくれ、さらに教室が賑やかになるように願っております。また、京都大学の呼吸器内科から滋賀医科大学保健管理センターの講師として小川惠美子先生先生が着任され、同門会に入会いただきました。呼吸器内科の診療や研究でもご活躍いただけると期待しております。また、豊橋ハートセンターで不整脈診療、特にアブレーションやデバイス治療を沢山経験された小澤友哉先生、本学の卒業生で名古屋大学にて呼吸器を専攻され中京地区で活躍されていた小熊哲也先生のお二人が医員として戻って来られました。

大学院に関しては、全国的にも問題となっている医師不足の影響で、本来戻ってきて研究する学年でも、なかなか戻れないのが実情です。とくに社会人入学制度が浸透し、最初の一年目は赴任先病院で勤務するという形が定着し、この方向に拍車がかかっております。しかし、医師としての人生の一時期、大学で研究に関わることは大変有意義なことだと思います。関連病院の先生には、いよいよご迷惑をおかけしますが、ご理解の程お願い致します。

医大初の試みの機能集約型病棟ということで同一病棟に内科と外科の患者さんが入院し、3階のC・D2病棟が呼吸循環器病棟となり、早2年余りが過ぎました。病院開設後、30年以上別々の病棟で仕事をしてきて、いわゆる各診療科の流儀や風土の違う状況で、一緒に仕事をするわけで最初はいろいろと齟齬もありましたが、スタッフ全員の努力の結果、大きな事故もなく、病棟運営も軌道に乗ってきました。たとえば、循環器に関しては、毎週火曜日の外科との合同カンファレンスも定着し、自分たちの症例が、外科でどのような治療を受け、どのような転帰であったのかを知ることができます。病理所見なども含め、身近にいろいろと相談できる外科医がいることが、卒後研修のみならず内科医にとって非常に大切であることが改めて認識されました。

さて、表題の話ですが、滋賀医大の他教室の先生とも話をして一致した意見になったのですが、本学を含めて最近大学院修了後の留学熱が非常に冷めてしまっているようです。これは、海外にでて新たに何か研究しようという時に、大概のことは日本国内でできてしまいその必要性を余り感じないためなのか、あるいは、医師不足でそんな悠長なことを言えない事情もあるのかと思います。例えば前者に関しては、いま、世界中で激しい競争が行われているヒトiPS細胞研究が良い例です。この分野は日本が一歩(あるいは半歩?)世界をリードしており、京大にiPS細胞研究所(CiRA)が開設され、最高レベルの成果を生みそうです。こうなると、逆に世界中から研究者が集まってくることになり、何も海外に出る必要も無くなるわけです。

一方、後者の理由も非常に大きいものです。忙しい臨床と途方もない時間を費やす必要のある研究とはもともと相容れないものです。また、言葉のバリアーも高く、もともと時間のない臨床医がcommunication toolとして英語を勉強する時間がないのも事実です。このようないくつかの因子が重なって表題の留学熱の低下につながっているのかもしれません。これはやはり、他大学の大学院研究を指導している先生と話をして全くその通りだと感心したことなのですが、最近の大学院生は非常に優秀で実験もスマートにして結果を出すのに論文を書かないのが殆どであると、そして長らく何故か不思議で仕方がなかったが、実は英語で書けないのが原因ではなく、そもそも国語力がないのではないかと気づいたそうです。

医学部教育を見ていても、他の学部に比べて自分自身の文章を書くという機会は極端に少なく、また大学入学までは理科系と暗記物に重点を置いた受験勉強をしてきて、それが大学院になって、いきなり医学論文を書けと言われても、ましてや、それが英文となれば、当然不可能なのは明らかです。いわば、『まったく泳げない人を太平洋の真ん中に放り出す』のと同じことです。ゆとり教育で国語の時間数が激減したのも影響しているかもしれません。国語力の低下は、コミュニケーションのみならず、論理を育む力や読書力の低下にもつながります。それは、英語での会話や論文書きでもまったく同じことです。どうも、留学熱と国語力に関わる近年の急激な変化には、一脈通じるものがあるようです。数学者の藤原正彦氏のエッセイに「祖国とは国語」があり、そのなかで痛烈に日本の国語教育を批判していますが、本当に国語力を失いつつある日本という国が今後どうなるのか心配です。

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おしゃべりなタクシー運転手には要注意!
滋賀医科大学 呼吸循環器内科 教授 堀江 稔

2010年3月23日

共同研究の打ち合わせで、昨年の夏の終わり、某大学の研究所のある南イングランドの田舎町に旅した時のエピソードである。英国にしては、天気に恵まれていたが、滞在3日目、土曜の朝も、すばらしいお天気だった。このような清々しい一日を次の目的地ストックホルムまでの移動だけで潰してしまうのも残念だったが、はじめからのスケジュール通りなので致し方ない。わたしを空港まで送るためにホテルに迎えに来てくれたタクシーの運転手は、気さくな地元のおやじで、空港までの15分ばかりの間だけではあったが世間話をした。こちらでは、まず、天気の話をするのが挨拶の一部のようなものである。昨日、同様良い日和なので、
We shall have another nice British day, today.
と言ったところ、かれは大笑いして、British dayというのは、雨降りの日のことで、今日こそ雨は降らんから、Exceptional British dayだねと、やりかえされてしまった。確かに、こちらに長く住んでいる人に聴いても、これからの季節、突然、天気が悪くなって雨が降り出すらしい。この日に限って、雲一つない朝で、雨は降るはずがないように思えた。まさしく、Exceptionally goodであった。

このあたりは北の湖水地方とは違い、低い丘陵がどこまでも幾重にも連なる地形である。遠くに見える、少し高い山の上の方では、木々がかすかに黄色になってきており、9月のはじめとはいえ、本格的な秋がもうすぐそこまで来ている気配があった。このような丘陵地帯を縫うように幅10mもない川が、そこここに流れている。運転手の趣味は、このような場所でのFishingとのことである。Trout(川マス)を狙うという。これから、さらに秋に向かうと、雨が多くなり、そうなると、川が濁って深くなり、段々と、釣果は少なくなるとのこと。その前のこれからがベストシーズンで、TroutがSaumon(海からのぼってくる鮭)くらいの大きさにも成長する(本当だろうか?)とのこと。いろいろと釣りの醍醐味を聴かされた。日本のイワナくらいしか、川魚の大きさを知らないこちらとしては、いくら何でも、このどこにでも流れている狭い川でそんな大きなマスはないだろうと、話半分に聴くばかりであった。

日本のルアーラーは、釣った魚をリリースするので、こちらでもCatch and releaseかと聴いたところ、彼を含めて大概の釣り人は、Catch and eatだと言い切った。それから、しばらくは獲ってきた魚をどのように料理するかという話になり、英国では趣味が高じて、この分野の料理だけも、すごい男がいると、私の勿論全く知らない友人の話をさんざん聴かされた。そのとき、車の音に驚いて道ばたを流れる小川縁の草むらから、つがいの小さな鳥が飛び出した。その鳴き声を聞いて、運転手の彼は、That’s Helen.と教えてくれた。なんと、女性の名前の付いた鳥(Helen bird)である。釣りに行くと、よく見かけるとのこと。彼の奥さんの名前と偶然同じで、それからは、彼女がいかに料理上手かという自慢というか、惚気話になった。そして、次にこちらに来るときには知らせてくれ、ぜひ、自分の家に寄ってくれ、マス料理をごちそうする、ということで名刺をもらったりしている内に、車はあっという間に空港に着いてしまった。

いかにも、のんびりしたイギリスの田舎での話である。この運転手は日曜日など休みの暇な時だけ、町のホテルと契約して、半分趣味でドライバーをやっているようなおやじであった。実際、あまりプロらしくなかった証拠に、小さな空港とはいえ、2つのターミナルがあったのに、わたしが乗る航空会社を聴かずに、近い方のターミナルで降ろしてくれたのである。釣りの話をしたので、早速、行きたくなったのであろうか、おかげで、それから私は大きな荷物を持ち、タクシーに乗っていたより長い時間をかけてもう一つのターミナルへ移動するはめになった。時間の余裕を見て出発していたので、事なきを得たが、どこの国でも、おしゃべりな運転手には皆さん要注意です。

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第24回滋賀医科大学呼吸循環器内科同門会に寄せて
滋賀医科大学 呼吸循環器内科 教授 堀江 稔

2010年1月23日

同門会の季節がやってきました。 ことしは例年よりも少し早く一月中の開催となりました。同門会の先生方におかれましても多忙かつ充実した2010年をスタートされたことと拝察申し上げます。常日頃より、教室の運営には格別なご支援を頂き誠にありがとうございます。この場をお借りして御礼申し挙げます。呼吸循環器内科学教室の前身である第一内科講座が開設されたのが1975年4月ですから、今年は創設35年目となり人間で言えば壮年期を迎えることになりました。いわば、働き盛りの年齢です。

さて、今年は、まず悲しいお知らせをしなければいけません。教室OBの第二岡本総合病院副院長 真城 巌先生におかれましては、かねてより、ご闘病中のところ、薬石効なく去る1月7日に逝去されました。先生は、当教室の黎明期から、教室の運営に参画いただき、多くの優秀な医師を育て、また昭和61年に岡本病院に赴任された後も、教室からの若手ドクターを多数指導いただきました。お元気なころ、お会いするたびに、いつも、教室出身の先生方が病院で如何に活躍しているかを誇らしげに話しておられたのを印象深く覚えております。教室ならびに同門会におきまして長きにわたりご尽力を賜りましたことを厚く感謝申し上げます。改めて、先生の功績を称え心よりご冥福をお祈り申し上げます。
合掌。

この一年間の教室や滋賀医科大学の動きについて、すこし、紹介します。今年の春から、新たに後期研修医として5名の新人が入局してくれる予定であります。この後の懇親会の場でも自己紹介があると思います。大学院に関しては、社会人入学制度が浸透し、最初の一年目は赴任先病院で勤務するという形が定着し、今年は2年目の4名が大学での研究を開始します。全国的にも問題となっている医師不足は、当教室でも由々しき問題です。同門会の先生方には、いよいよご迷惑をかけますが、われわれ大学のスタッフもひとりでも多くのドクターを教室に勧誘しております。今後とも温かい目で、ご指導・ご支援のほどお願いしいたします。
機能集約型病棟ということで、医大初の試みとして2007年から、同一病棟に内科と外科の患者さんが入院し、3階のC・D病棟が呼吸循環器病棟となり、はや2年余りが過ぎました。病院開設後、30年以上別々の病棟で仕事をしてきて、いわゆる各診療科の流儀や風土の違う状況で、一緒に仕事をする人で最初はいろいろと齟齬もありましたが、スタッフ全員の努力の結果、大きな事故もなく、病棟運営も軌道に乗ってきました。たとえば、循環器に関しては、毎週火曜日の外科との合同カンファレンスも定着し、自分たちの症例が、外科でどのような治療を受け、どのような転帰であったのかを知ることができます。病理所見なども含め、身近にいろいろと相談できる外科医がいることが、卒後研修のみならず内科医にとって非常に大切であることが改めて認識されました。

病院再開発の一環として、今年の秋以降、内科外来の改修も予定されており、呼吸器循環器の内科系2診療科で行っていた外来のスペースが倍になり、同じ外来棟2階なのですが、少し移動して呼吸器外科、心臓外科と一緒に4診療科で診療を開始します。手術日などは外来ブースに余裕ができることが期待されますので、内科系の特殊外来や禁煙、生活習慣病外来なども企画することができると思います。

最後になりましたが、昨年は教室で日本心電学会開催のお世話をさせていただきました。日本不整脈学会との合同学会で7月に開いたことからインフルエンザの影響も少なく2200名以上の参加者があり成功裡に終えることができました。これも、日常診療に加えて多大な時間を割いて協力していただいた教室員・同門会の皆様のおかげであります。ありがとうございました。

今後も、バランスのとれた呼吸循環器内科診療を目指して努力する所存でありますので、旧来に変わらぬご支援のほどお願い申し上げます。

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第7回呼吸循環器フォーラムに寄せて
滋賀医科大学 呼吸循環器内科 教授 堀江 稔

2009年7月14日

大変、暑い日が続きますが、呼吸循環器内科の同門会の皆様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか?少し旧聞に属しますが、先生方は、今年の連休をどのように過ごされましたでしょうか?新型インフルエンザの報道もあり、今年は「自宅派」の先生も多かったのではないでしょうか。滋賀医科大学では、他の関西圏の国立大学と同様、インフルエンザ発生国から帰国した場合、公用・私事渡航に関係なく1週間の自宅待機(監禁?)ということになり、今年は予定されていた出張も続々とキャンセルされたようです。

さて、小生の連休は今年も自宅派でしたが、就職した娘達が帰郷し、習いたての車の運転をしたいということで、一日だけつき合って(命がけです)、生まれて初めて福井県の敦賀に行って参りました。ETC導入車は、休み中、高速道路が1000円でどこまでも行けるということもあり、北陸自動車道もすごい混みようでしたが、渋滞とまではいかず、運転初心者の娘達にとっては良い練習になったかもしれません。なぜ京都から敦賀に行くことにしたかという点については、別に理由はなく、神戸・淡路島・四国方面は、大渋滞であるという情報があったことと、また、運転指導教官(私のことですが)の日頃の疲れレベルと彼女たちの希望とがせめぎ合って、彼の地が落とし所であったというわけです。

今回の車による小旅行で、敦賀が自然の良港をもち、明治時代、交通の要衝で軍事的にも重要な町であったことを初めて知りました。さて、欧亜特急という特別列車のことを聞かれたことはあるでしょうか?正確には欧亜国際連絡列車と呼ばれていたようです。敦賀の旧港に隣接した場所に昔の駅舎を模した交通記念館があり、中に多くの歴史的展示物がありました。なかでも、興味を引いたのは、この欧亜特急が大正期から昭和初期にかけて、運行されていたという記録です。島国である日本は、当然ながら外国と国境を接してはおらず、外国に行くには船しかなかった時代です。現在と比べ途方もなく大変な時代であったと思います。しかし、ロシアの極東政策のために延伸されたシベリア鉄道が利用できるようになって、東京新橋から滋賀県の米原経由で、敦賀港まで汽車できて、日本海をウラジオストックまで船で渡り、シベリア鉄道に乗り換えて、ベルリンやパリに行くルートが開発されたとのことです。船旅に比べて、ヨーロッパまでの時間は17日と半分以下に短縮され、途中、ロシア革命や第一次世界大戦などで中断されたものの、断続的に昭和15年まで運行されたようです。当時、実際に使われたベルリンまでの切符が展示されていましたが、東京−敦賀−ウラジオストック−モスクワ−ベルリンと表示があり、いまでは、飛行機で10時間ばかりで行ってしまう旅行が、当時は本当に大変であったことが伺えました。それだけ、人の往来も少なく、また、行こうにもなかなか困難な時代だったようです。まさしく、萩原朔太郎の世界(参考)ですね。

この欧亜特急と関連して、思い出される(といっても私自身が経験した訳ではありませんが)のは、当時世界中で猖獗を極めたスペイン風邪です。アメリカが発生国で、1918年に最初の報告があり、時を経ずして日本でも大流行した新型インフルエンザで、世界で5000万人、日本でも40万人以上が死亡しました。まさしく、この欧亜特急の走っていた時代です。外国との交通が、非常に疎遠であった当時でさえ、新型インフルエンザは、瞬く間に国内に広まった訳で、今年5月に大々的にマスコミを巻き込んで行われたウイルス流入阻止の水際作戦は、何であったのか不思議です。多くの専門家は、現在のようなパンデミックを予想していたようです。幸か不幸か、日本の夏は高温多湿で、ウイルスの蔓延には不適な気候ですが、この秋以降の爆発的な流行が心配です。

日本人は、結構、「熱し易く冷め易い」民族だと言われます。今回の新型インフルエンザがとっくにパンデミックとなっており、日本でも急速に広がっている事実を忘れないで、今後の対処が必要と思われます。

参考:旅上
「ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。・・・・」

(「純情小曲集」から一部抜粋)
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日本とアメリカの研究環境の違い? 若手医師のMotivationは?
滋賀医科大学 呼吸循環器内科 教授 堀江 稔

2009年1月1日

あけましておめでとうございます。滋賀医科大学呼吸循環器内科同門会の皆様におかれましては、多忙かつ充実した2009年をお迎えのことと拝察申し上げます。日頃より、同門会活動には格段のサポートをいただき誠にありがとうございます。あらためて、この場をお借りして御礼申しあげます。さて、昨年はどのような1年でしたでしょうか。未曾有の経済危機に見舞われた日本のなかで、国立大学は、独立法人化以降、いよいよ『経営』ばかりが言われ、昔のように余裕ある研究生活を送ることは、夢のまた夢という状態です。以前もご紹介しましたように、現在、大学病院は、再開発計画が進行中で、新築のC・D病棟3階には、呼吸器も昨年夏前に移転して、呼吸と循環の内科・外科が入りました。循環器内科に関しては、心臓血管外科と同じ病棟になって1年が経ち、お互いの状況もよく分かってスムーズに病棟業務が進むようになってきました。

さて、今回は研究の話なのですが、ニューヨークのロックフェラー大学に、私が籍をおいたのは、アメリカがイラクと湾岸戦争をしていた年なので、もう18年も前であり、現在の日本での研究環境と単純に比較することは難しいというか大変無謀とは思いますが、以前指導していた研究者が今もテキサスやミズーリ、カリフォルニアなどの大学において現役で研究しているので、彼らからの情報も交えて、今回は表題のような比較論をしてみたいと思います。日本側の研究室をいくつも知っているわけではないのですが、総じて私が帰国して以降一貫して、日本ではゆったりとした時間のなかで研究を楽しむという余裕はないようです。とくに2004年の大学独法化以降、研究以外の雑用と研究費の獲得のきびしさは年ごとに増加しています。実際、問題なのは、このような『超』のつく忙しさが、個人の研究者の能力によるのではなく、全国どこの大学でもみられる現象で、教授など指導的立場になればなるほど、忙しさが増強する点です。基礎系の教授を見ていても、多くの業務に振り回され、それなのに給料は、能力制ではなく、個人のゆとりの時間もなく、忙しさの中でなんとか『サイエンス』を続けようと涙ぐましい努力をされています。ただ単に『サイエンス』を続けなければいけないという使命感(悲壮感??すみません言い過ぎです)だけでなんとか体制が維持されているようにも思います。このような状況でも、まだ競争的研究費(いわゆる科研費など)の獲得が少ないと叱咤激励され、また、その解決策を探るために更に会議が開かれて、結局、貴重な研究の時間が消費されていきます。

このような環境で、じっくり考えられた、いわゆる『大向こうを唸らせる』研究ができるはずありません。ファースト・フードの店長や公立病院のひとり部長が、「管理職」とみなされ、実質とは、名ばかり管理職手当のもと、体のよい賃金カットを受けていることが社会問題となりましたが、大学教授陣や研究者には、もとより、時間外や残業代という概念はありません。夜遅くまで、さらには休日出勤しても誰も褒めてくれません。論文の評価も、その内容や斬新さ(novelty)で評価されるのではなく、得体の知れないインパクト・ファクターとか呼ばれる値で決まる、なにか報われない世界です。このような状況下で、どうして若い医師や研究者が、将来に夢を持てるでしょうか?この現状で若いドクターが大学院に進む気持ちになるでしょうか?日本の科学研究は、とっくに崩壊の一途をたどっており世界に通用するような研究が、出てくる余地がいよいよ小さくなっています。

私にとっては、たった一年間のアメリカでの研究生活でしたが、決定的に日米の研究環境で違うと思った点は、研究における人的資産の量です。アメリカの研究室では、おのおのの役割分担を明確に理解して、ひとつのシステムとしてうまく働いているように思えました。その後、イスラム過激派との泥沼の戦争を続け、サブプライム問題に端を発する経済恐慌の中心にいる、いまのアメリカではどうか知りませんが、役割分担のはっきりさせるための構造的あるいは人的なインフラなくして、現代の研究が進めにくくなっているのは、明白です。このような厳しい状況で、しかし、昨年は日本の科学研究に明るいニュースが2つありました。ひとつは、京都大学の再生医学研究所の山中教授が発見したiPS細胞で、もう一つは、ノーベル物理学賞・化学賞を4人もの日本人が受賞したことです。とくに、オワン・クラゲからGFP (Green Fluorescence Protein)を発見した下村先生は、以前のこの稿で触れた團勝磨博士の『ウニと語る』の中にも出てくるウッズホール臨海生物研究所(Woods Hall Marine Biological Laboratory:MBL)で研究された由。さらに、自分自身が電気生理と併せてGFPを用いた心筋細胞内輸送などの研究を行ってきたので、印象深いものがありました。

恩師の故入澤宏先生もMBLで臨海生物を用いた循環生理の研究され、よくその当時のお話をされていました。昭和40年代のアメリカには、まだ余裕があったのでしょうか、NIH (National Institutes of Health)の研究費が、日本の広島大学の一研究者に当たり、MBLでの実験の機会を与えられたとの事です。現在、アメリカで研究を続けている連中に聴くと、さすがに、昨今のアメリカは疲弊してきており、研究者増加に比べて、NIHの研究費が全く増加せず、結構、有名な先生も、突然、研究費が切られてしまうことがあるようです。研究を続けていくには、そのテーマや内容に加えて、継続性を維持するため、研究費の持続も大切です。日本の大学とくに地方大学での研究は、一部の環境を除いて、もはや、再生できない状況になっています。前述の團先生が、終戦直後、三浦半島にあった都立大附属の臨海実験所を去るとき、進駐軍に書き残したメッセージ(Take care of this place and protect the possibility for the continuation of our peaceful research、2007年1月30日の私のメッセージ参照)を改めて心に止め、研究環境の維持を私たち自身で守る手だてを考えなければ行けない時に来ていると思います。

 

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第6回呼吸循環器内科フォーラムに寄せて
滋賀医科大学 呼吸循環器内科 教授 堀江 稔

2008年5月28日

走り梅雨の声を聞く今日この頃ですが、呼吸循環器内科同門会の皆様にはお元気にご活躍のことと存じます。今年も同門会誌「創造」を出版することができ、夏の呼吸循環器フォーラムを迎える季節になりました。同門会のお世話いただいている先生方や秘書さんたちの並々ならぬ仕事の結晶です。さて、今年4月から、診療報酬改訂、悪名高き後期高齢者医療制度、特定検診・特定保健指導の導入などが発足し、皆様、その対応にご多忙ではないかと存じます。マスコミを通した医療環境悪化の報道がない日がないと言ってよい昨今ですが、将来の生活への不安感とあいまって、医療制度変革への国民の不満感はいよいよ高くなっています。しかし、現在の政治的な混乱の中で果たしてどれだけの改善が望めるのか疑問のあるところです。

私事ですが、今年のゴールデンウィークの中日、5月3日に大学卒業後30年目の同窓会がありました。昭和53年卒の同期が40名も集まりました。卒業年度から、ゴミ(53)の会と呼ばれ、不定期ではありますが、集まるのはいつも5月3日午後5時30分と決まっている会です。毎回、皆が会うと一瞬にして学生時代に戻り、楽しく情報交換となるのですが、今回の近況紹介や2次会での話題の8割方は病気のことでした。医者仲間だから、自分の専門の病気と思われるかもしれませんが、実は自分自身の病気の話です。人間、50代も半ばとなると1つや2つは持病があり、これがまたお互いの大きな話題なります。先生方はいかがでしょうか?滋賀医科大学の同窓会も、1期生から4期生くらいまでの方は、すでに50代に突入しており、同窓会ではどんな話題が中心になるのでしょうか?

さて、われわれの会で、もうひとつ皆が盛り上がったテーマは、学生時代の自分たちと今の学生あるいは研修医との比較検討でした。まず、勉強して記憶しなければいけない知識量が確実に2−3倍になっていること、その分量の知識を問われる国家試験は、僕らの頃に比べて大変難しくなっていること、その影響でもないのでしょうが、昔にくらべて学生の授業への出席率も非常に高くなっていることなど、話に出ました。実際、過去20年近く京都大学医学部の2・3回生を相手に講義を担当してきましたが、最近の出席率の高さには驚いています。学生や研修医諸君の気質も、この間、ずいぶん変わってきました。これには、同期の連中と意見が合いました。これは、いつ頃からのことだったのでしょうか?同期の間の話では、平成10年頃からではないかという意見が多かったようです。卒業後10年間は、大学で習った知識を生きたものにするのに、そしてそれに見合った技術や説明力をつけるために、地道でそれなりにハードな研修が必要です。

振り返ると、横浜市立医大で患者取り違え事件が起きたのが平成12年であり、この頃から、患者―医師関係の変化が急速に進んだように思います。東京女子医大の診療録改竄の問題、さらに止めを刺したのは福島県立大野病院・産婦人科の事件です。一般の方にはあまり知られていないようですが、先生方は大野病院の一件をよくご存じだと思います。一人科長の過重労働の中で、誠意を尽くして診療したにも関わらず、助けられなかった(遺族には、理由がないのに死んでしまった、さらに医師に過失があって殺されてしまったのではないか、となるのでしょうか)、このようなケースが次々と立件され、刑事訴追されています。医学の知識が全くない法曹会の人間が是非を判断するわけです。このような状況下で、平成16年度からは新研修制度が発足し医師国家試験合格の後、2年間の初期研修が義務化されましたが、若い医師の卵がその間、何を見て何を考えて自分の将来どのように考えるか、想像すれば容易に結論は分かります。彼らの気質だけの問題なのではなく、このような医療の状況を目の当たりにしたとき、医療訴訟の多い専攻科に進むのをためらうのも当たり前かもしれません。

件の同窓会での話では、自分たちの頃はクラブの先輩の勧誘とか、なんとなくというのが多かったのに、現在の若い学生たちの方が、ずっと賢明であり大変よく考えて専攻科を決めているという意見が多かったようです。実際、新研修制度が始まり4年たって、研修先の決定基準も少しずつ変わってきたように思います。もちろん、自分自身の将来のことを考えてQOL(最近はQOML=Quality Of My Lifeと呼ぶそうです)が高くなると、現在、“考えられている”皮膚科・眼科・精神科(後期研修の新御三家と呼ばれているそうです)を選ぶ研修医も多いようですが、学生時代からの熱い思いを持続し、直接、命に関わる病気を扱う診療科を選ぶ志望者が少しずつ戻ってきているようにも見えます。さらに、必ずしも、金銭的な待遇のみではなく、良き指導医・研修プログラムを持つ病院が選ばれています。

このような中で、ここ一、二年は大学病院への回帰現象も徐々に見られているようです。ちなみに、平成20年度の滋賀医科大学の初期研修では、定員を超える50名近くの応募がありました。つまり2年前の倍近くの人たちが大学を選んでくれたわけです。2年後の後期研修を選択するとき、ひとりでも多くのドクターが、我々の呼吸循環器科に来てくれるよう頑張っております。卒後の学外病院ローテートや勉強会などで、同門会の先生方には、いろいろと彼らのご指導を賜ることと思いますが、その節には、ぜひとも若い連中に声をかけていただき、教室の宣伝をお願いします。また、大学の初期ローテーターたちに、たとえば、心電図演習など何でも結構なのですが講義してやろうとお考えの先生がおられましたら、ぜひ、遠慮なく私まで一報ください。教室主催のセミナーの形で、企画したいと思います。

さて、病院の再開発も着実に進んでいます。来月(2008年6月)初めには、全面的に改修された新C病棟が完成し、呼吸器内科が外科と一緒に3C病棟に引っ越してきます。ここには、救命救急部のベッドも一部入りますが、3階のほぼ100床のフロアが、呼吸循環器疾患の病棟となります。これで当分は、病棟引っ越しはないと思いますが、この後、手術棟の増築や中央診療部門の改修など、まだまだ再開発が続きます。少し研究面に触れますが、臨床教室において、やはり患者さんに密着した臨床研究を進めてほしいという私の着任時の希望通り、全国区で発信できる内容の研究課題が、たとえば今春の日本循環器学会でも報告できました。滋賀医科大学呼吸循環器内科の関連で、プレナリーセッションとシンポジウムに3つもの発表ができました。来年7月の日本心電学会を私どもの教室が主催させていただくことになりました。日本不整脈学会との合同会議となり京都国際会議場で行います。また、中野先生を中心に呼吸器内科の臨床研究も発展し、大学院にも呼吸器専攻で入学してくれる若いドクターが増えてきました。歴史的に、これはなにも滋賀県だけの問題ではないと思うのですが、呼吸器内科医は、ものすごい稀少価値であります。今春、当教室の呼吸器内科の創設に大活躍してくれた羽白先生が天理よろず相談所病院に転勤と決まり、大変、残念に思っておりましたが、関東の草加市民病院から、大澤先生が赴任してきてくれました。呼吸器感染症がご専門と聞いておりますが、また、滋賀医科大学の活性化に活躍されることを期待しております。

今後も、バランスのとれた呼吸循環器内科診療を目指して教室員一同、努力する所存でありますので、旧来に変わらぬご支援のほどお願い申し上げます。

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新年のご挨拶
滋賀医科大学 呼吸循環器内科 教授 堀江 稔

2008年1月5日

あけましておめでとうございます。呼吸循環器内科同門会の先生方におかれましては、どのような新年を迎えられましたでしょうか。常日頃より教室の運営には格別なご支援をいただき誠にありがとうございます。この場をお借りして御礼申しあげます。

昨年は、滋賀医科大学にとって大変な節目の年でありました。創設以来30年間の悲願でありました新病棟がやっと完成して、9月より供用が始まりました。一部の先生方は見学に来て頂いたと思いますが、本来、このD病棟は滋賀医科大学新設時のプランに入っていたと聴いております。それが、当時のオイル・ショックのために予算繰りが出来なくなり、予定凍結となった訳で、まさしく30年来の計画が成就したということになります。DPC導入後の特定機能病院の宿命ですが、著しい入院期間の短縮に伴い、全体の急性期ベッド数を減らし、そのぶん回復期リハビリテーション病棟が40床のベッドで今春開設されます。ここでは、呼吸循環器疾患患者のリハビリテーション担当として、われわれの教室からも参加する予定です。

さて、これも昨年のことですが、小児科で最初に無症候性QT延長症候群と診断され、年齢的に大きくなったと言うことで、わたしの外来に紹介されました。近くの医院でも、同門会のある先生が見られており、そちらからの紹介もありました。安静時心電図でのQT延長はボーダーラインなのですが、運動負荷で著しく延長するため、βブロッカーの適応と考えましたが、まったく症状がないこと、問診では家族歴がないこと、体を使う仕事をしていることなどから、定期的な心電図記録で経過を見ることしました。ところが、この女性が、仕事帰りによったコンビニで、突然、倒れ意識不明となりました。救急隊が駆けつけたときには10分近く心肺蘇生なしで経過していましたが、幸いなことにAEDに反応し、当院救急部に入院してからは、脳低体温療法が奏功して、完全回復を得ました。本当に幸運な症例と考えます。結局、われわれの病棟に転科していただきβブロッカーを開始し、ICDを埋め込むことになりました。その後、家族の心電図をとったところ、まったく失神などの症状はないものの、2人の同胞者にQT延長が認められました。全員の同意を得て行った遺伝子検索では、タイプ1の遺伝子異常が発見されました。

この症例で、まず、わたしが反省しなければいけないのは、たとえ無症候性であっても、また、発作を起こしやすい20歳以下でなくとも、最初の心室細動(あるいはtorsade de pointes)発作が致命的となる可能性が、このようにあるため、やはり厳密な運動制限とβブロッカーが必要であった点、さらに、もっと詳しく家族内の検査も含めて介入すべきであった点です。さらに、QT延長を来すような薬、実際には患者さんには何がそうなのか分からないので、なにか新しい薬を飲むときには相談くださいとは話しましたが、もっと徹底すべきであったと思います。これは、患者情報としても大変大切なことで、とくに開業医の先生は、この医療訴訟時代にあって、もっとも危惧すべきことです。QT延長症候群は、約5000人に1人の率でいるとされますが、ここに含まれない、すなわち、心電図でもQT延長はボーダーラインで無症候性の“不顕性”QT延長症候群が沢山います。患者側の素質があって、さらに医師が処方するお薬が、たとえばエリスロマイシンのようなQT延長を来すものであれば、今回経験したような経過をたどる危険性が十分に考えられます。

どのような疾患にも病状のリスク評価(risk stratification)が必要です。そのためには、個々の症例の経過で、なにが良かったのか良くなかったのか検討してみることは大切だと思います。この10年ばかり急速に進歩した遺伝子検査も、リスク評価や治療方針の決定に大変貢献しています。遺伝子研究で分かってきた知見が、逆に個々の症例での治療にも役立ちます。というわけで、同門会の先生方で、先天性・2次性を問わずQT延長症例を現在お持ちの方は、ぜひ、QT延長症候群の調査アンケートをお送りいただけないでしょうか?アンケートをPDFファイルにしたものを、こちらに掲載致します。

 →QT延長症候群調査アンケート(PDFファイル)

たまたま、薬剤によるQT延長からtorsade de pointesによる失神をおこした症例のなかにも、先天性QT延長で判明している関連遺伝子の異常が見つかっています。とくに、タイプ2の遺伝子異常が多いようですが、本症候群は常染色体優性遺伝をしますので、その子孫は重症不整脈による突然死を起こし素質を50%の確率で引き継ぐことになります。そこで、もし、遺伝的な背景が判明すると、その家族の遺伝子検査を徹底的に行うことにより予期せぬ心臓突然死を予防することが可能となります。まさしく、遺伝子検査の利点であり、また、同時に個人の遺伝情報による社会的な差別などの欠点も含んでいます。ただ、遺伝情報を知ることが、その患者個人の予後を大きく左右するようなQT延長症候群の場合、許される事項であると考えます。

多くの議論があると思います。これもメーリングリストを通してご意見をいただければ幸甚です。

最後になりますが、2008年も、みんさまにとって幸せな一年でありますように、また、益々のご健勝をお祈りします。教室員一同、ことしも呼吸循環器内科の活性化とさらなる教室の発展を目指して切磋琢磨して参ります。なにとぞ、ご支援のほどよろしくお願いします。

滋賀医科大学呼吸循環器内科・堀江 稔
2008/01/05


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『年年歳歳花相似 歳歳年年人不同』
滋賀医科大学 呼吸循環器内科 教授 堀江 稔

2007年7月1日

ヒトは自分の年の逆数で時間の経過を感ずるといわれますが、実際、年を追うごとに時間が過ぎるのが早い今日この頃です。
呼吸循環器内科同門会の先生方におかれましては、どのような2007年をお過ごしでしょうか。常日頃より、教室の運営には格別なご支援を頂き誠にありがとうございます。まずは、この場をお借りして御礼申しあげます。
さて、今年も夏の呼吸循環器フォーラムの季節を迎えようとしております。今年は、いくつかの行事と重なるため、例年より少し遅い8月4日の開催となりました。幸いなことに、滋賀医科大学呼吸循環器内科には、この春から10名の新人を迎えることができました。8月のフォーラムには全員が参加してくれ、同門会のみなさまご紹介できるものと楽しみにしております。かれらの中には、同門の先生のご病院やクリニックにおける選択研修などで勉強させて頂き、呼吸循環器分野に興味を持ったドクターもいると聴いております。今後も、初期研修のみならず学生の院外選択コースや全人的GP研修で、ますます先生方のお世話になるかと存じますが、何卒よろしくお願い申し上げます。
冒頭の話ではありませんが、21世紀になって、世の中の動きは、ますます加速しているように思います。中国唐代の詩に、『年々歳々花相似、歳々年々人不同』の一節があります。毎年、春になると咲く花は同じであるが、周りを見渡すとヒトは、年ごとに変わっていく。まさしく、この心境であり、また、教室がこのように活性化されることを期待したいと思います。唐代の花とは、洛陽城東桃李花とありますから、桃李の花でしょうか?日本で、まず、思い浮かぶのは桜です。最近知ったのですが、桜は植木のなかでは、もっとも短命だそうです。さらに公害に弱いと来ています。現在の大都会にある桜は、いわば、絶滅危惧種かもしれません。実際、明治末期に日米友好の印としてワシントンDCに植えられた桜のほうが、本家本元より、本来の色や性質をよく表しているとのことです。まさに、昔の櫻いまいずこで、『年々歳々花相似』ではありますが、花も確実に年ごとに変わっていくようです。
中国の唐代の詩人に楯突くわけではありませんが、ヒトは確かに年ごとに変わっていきますが、それは個々のヒトが変化すると同時にヒトの交流があり、動きがあるということでしょう。しかし、ヒトが作り出す伝統とか風習というのは、桜以上に長生きするようです。たとえば、フランス語が現在でも話される土地というのは、たとえばタヒチとかカナダのケベック地方とかありますが、カナダのように、英語圏に囲まれて文化的に孤立すればするほど、言語としてのフランス語は、変化を受けないで、古い表現や単語が生き残っているようです。現代のフランス人がもはや完全に忘れてしまったような表現や死語となってしまった言葉がケベックなどでは、日常的に使われているため、フランスから来るとタイムマシンに乗って、中世に戻ったような気分になることがあるそうです。
同じような体験を私自身もしたことがあります。10年近く前のことですが、まだ、治安の良くなかったブラジルに学会で出張したときのことです(ちなみに、日本からは24時間も飛行機に乗りました)。サンパウロの日本人街の食堂で注文して出てきた料理が懐かしいおばあちゃんの味というか、大正や明治の食べ物はこうであったとモノの本に書いてあったようなのが出てきて、タイムスリップしたような錯覚を経験しました。やはり、文化的に孤立すればするほど、食事を含めて日本の風習は、変化を受けることなく残っていくのだと思われます。
このような伝統の維持が良いことか悪いことかは別として、逆に、現在の日本では、ますます加速する変化にこちらが付いていけなくなっています。毎回のように、ここで取り上げている研修医の新マッチング制度は、正しくこの一例で、その内容はめまぐるしく変わっていますが、いまや東京や横浜、大阪地区は、新研修医を限りなく飲み込むブラックフォールと化しています。どうか、若くて賢い先生方が、完全に飲み込まれてしまわないように祈るばかりです。
閑話休題、この秋には懸案でありました新病棟D棟がいよいよ竣工します。まず循環器内科が心臓外科と一緒に新棟3階に移転しC病棟の改修後、呼吸器内科が呼吸器外科と一緒に戻り、CD病棟3階の約100ベッドが呼吸循環器内科・外科のフロアーに生まれ変わります。大学の方針として呼吸循環部門の重点化が決定しており、今後、ますます外科との連携が求められます。また、出遅れていた電子カルテも、まず外来に導入されました。このように、われわれ滋賀医科大学呼吸循環器内科を取り巻く環境は、その入れ物を含め大きく変わることになります。滋賀医科大学付属病院の開設から30年あまり、多くのドクターが、巣立って行った病棟が変わることに、同門会の先生も格別の思い入れがあることと推察いたします。新病棟が完成し移転しましたら、是非一度見に来て頂きたいですし、なんらかの記念の会を企画したいと考えております。

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第21回滋賀医科大学呼吸循環器内科同門会に寄せて

滋賀医科大学 呼吸循環器内科 教授 堀江 稔

2007年1月30日(火)

今年も、早や、同門会の季節がやってきました。
呼吸循環器内科同門会の先生方におかれましては、多忙かつ充実した2007年をスタートされたことと拝察申し上げます。常日頃より、教室の運営には格別なご支援を頂き誠にありがとうございます。この場をお借りして御礼申しあげます。

大学の独立法人化が始まり、もうすぐ3年が経ち、また、臨床研修マッチング制度も4年目を迎えます。この4月には新研修制度の2期生が後期研修を受けるべく、現在新たな選択を行っています。幸いなことに、滋賀医科大学呼吸循環器内科には、この春から9名の新人を迎えることが決定しております。また、現時点(本年一月末)で、さらに3名の研修医が、当科での後期研修を考えてくれており、2月24日(土)の同門会には、皆様に、ご紹介できるものと思います。呼吸循環器内科を選んだ研修医諸君の中には、同門の先生のご病院やクリニックで勉強させて頂き、この分野に興味を持ったドクターもいると聴いております。今後も、初期研修のみならず学生の院外選択コースや全人的GP研修で、ますます先生方のお世話になるかと存じます。何卒よろしくお願い申し上げます。

毎年お話ししておりますが、多くの将来ある若いドクターを教室に受け入れ、また、教室が彼らに受け入れられるためには、充実した関連病院と同様に大学内での後期研修がより魅力的でなければならないと考えます。このためにも、最初の外病院での研修をすませたドクターは、一旦、シニア医員あるいは大学院生として大学に戻って来るべきであると思います。そして、是非、1〜3年目の大学で研修中の後輩や臨床実習の学部学生を指導してもらい、教室のたての連携をより強固なものにしていって頂きたいと思います。滋賀医科大学の卒業生や学生たちに、母校への誇りを再認識させてほしいのです。卒前・卒後の大学医学部における医学教育が、社会的にも物議を醸している昨今、あらためて札幌農学校のクラーク博士ではないですが、Boys, be proud of your school!と叫びたくなります。滋賀医科大学の存続に関わる非常に大切な問題であると認識しています。

さて、今秋には懸案でありました新病棟D棟がいよいよ竣工し、まず循環器内科が心臓外科と一緒に3D(3階)に移転しC病棟の改修後、呼吸器内科が呼吸器外科と一緒に3Cに移り、CD病棟3階の約100ベッドが呼吸循環器内科・外科のフロアーに生まれ変わります。大学の方針として呼吸循環部門の重点化が決定しており、今後、ますます外科との連携が求められることになります。また、出遅れていた電子カルテも、まず今年の春から外来に導入され、入院部門も病棟再開発後にスタートします。このように、われわれ滋賀医科大学呼吸循環器内科を取り巻く環境は、その入れ物を含め大きく変わることになります。滋賀医科大学付属病院の開設から30年あまり、多くのドクターが、巣立って行った病棟が変わることに、同門会の先生も格別の思い入れがあることと推察いたします。新病棟が完成し移転しましたら、是非一度見に来て頂きたいですし、なんらかの記念の会を企画したいと考えております。

大学病院の新しい建物の話を今書いていて、昔一度読んだ團勝磨博士の『ウニと語る』を最近再読することができ、新たな感銘を受けたことを思い出しました。晩年、東京都立大学の学長も務めた生物学者、團先生の自叙伝です。先生は大実業家・團琢磨の甥で、若くして米国ペンシルバニア大学に留学し、アメリカ人女性研究者と結婚し2人で日本に戻り太平洋戦争のさなか三浦半島にあった都立大附属の臨海実験所で非常な苦労をしながら研究を続けられた方です。敗戦後いよいよアメリカ占領軍が臨海実験所を接収しようという時に、彼は後に来る米軍にメッセージを残していきます。その文章は、多くのアメリカ人に感動を与えたようで、オリジナルが、いまでも、ウッズホール臨海生物研究所(Woods Hall Marine Biological Laboratory:MBL)の図書室に掲げられているとのことです。Woods Hallは、はじめてイギリスから清教徒たちが船に乗ってやってきたBostonの南方にあるCape CodのPlymouth近くの小さな町で、團先生がペンシルバニア大学に留学中から夏の間は臨海生物が容易に手に入るこのラボで研究していたという縁の土地です。

少し長くなりますが、そのメッセージの一部を抜粋します。
This is a marine biological station with her history of over sixty years. If you are from the East Coast, some of you might know Woods Hall Marine Biological Laboratory……This place is like one of these. Take care of this place and protect the possibility for the continuation of our peaceful research. YOU can destroy the weapons and the war instruments. But save the civil equipments for Japanese students. When you are through with your job here, notify to the University and let us come back to our scientific home.
数多くの研究所の中で、團先生がまずWoods Hall のMarine Biological Labをあげられたのは、ご自身がそこで若いときに研究した経験があったためと思います。アメリカ合衆国発祥の地に近いこの町の名前が占領軍のみならずこのメッセージに触れた多くのアメリカ人たちを動かしたのでしょうか、異例の早さでこの三浦臨海実験所は先生たちのもとに返還されたとのことです。

團博士はウニの発生学を研究していて、この三浦半島の実験室は欠くことのできない場所であった訳です。われわれ同門会メンバーの立場で考えると、そのmother stationは滋賀医科大学そのものであり大学病院そのものです。もはや建物としてだけの存在ではなく、存在そのものが大切です。私たちも團博士が自分の実験所に持ったと同様の愛着や矜持を維持しながら呼吸循環器内科教室を創っていきたいものと思います。まったく私事で恐縮ですが、研究上の恩師である前生理学研究所教授の故入澤宏先生も、このWoods Hall Marine Biological Labで研究された数少ない日本人研究者のお一人です。また、私をアメリカに呼んでくれたRockefeller大学のDavid Gadsby教授も、毎年、イカの捕れる夏には、この研究所で電気生理実験をされています。(もっとも、New Yorkに居るあいだは、Post Docたちの指導や雑誌編集の仕事しかしていないようですが。)研究を始めた頃に強い影響を与えてくれた2人の先生からいつもWoods Hallのすばらしさを吹聴されていたので、一度は訪ねてみたいと思っておりました。なかなか、それも叶わず実現していませんが、当時この團先生の自叙伝を書店で見つけてWoods Hall Marine Biological Labのことが書いてあり、すぐ購入したのだと思います。後付けを見ると1987年の初版本でしたから、もう20年も前の本ですので、絶版になっていると思います。興味のある先生がおられたら私の部屋にありますのでいつでもお貸しします。

長くなってしまいました。
本年も呼吸循環器内科の活性化を目指して教室員一同、切磋琢磨して参ります。何卒ご支援のほどよろしくお願いします。

 

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少子高齢化に思う
滋賀医科大学 呼吸循環器内科 教授 堀江 稔

2006年12月26日(火)

いまや我が国は、世界も認める長寿国となりました。しかし、これは前世界対戦中あるいは戦後の食糧難を体験した世代の長命によるのであって、われわれ団塊以後の世代が享受できる特典ではないという認識は、案外、現代日本人にはされていません。わたしの両親の世代というのは、生まれてから青春時代まで、毎日の食べるものに事欠いた世代であり、また、団塊世代を生んだジェネレーションです。すでに、多くの動物実験でカロリー制限することで寿命が延びることが示されており、親世代の長命、つまり、日本の‘現時点’での平均寿命が世界一であることもうなずけます。実際、男性で80歳以上のかたはそれだけでも尊敬してしまいます。皮肉なことに、メタボリック・シンドロームがマスコミをにぎわす飽食時代となった‘現時点’の長寿社会は、仮の姿であり、未来に渉って保証されるものではありません。

われわれの世代では、このような長寿は、とても望めるものでありませんし、われわれの後の近未来の日本を支える若者世代を見ていると、さらに、憂うべきものがあります。一度、豊かになった社会は、後戻りできない。決して、戦中終戦の赤貧には戻れないのです。これは、昭和40年代を彷彿とさせる現代の中国をみても明らかです。また、われわれの行く末を垣間見ることが出来る現代アメリカ社会を見ても、さらに明らかです。昨年末、5年ぶりに昔の私の大学院生でいまTexas Heart Instituteで研究している日本人のドクターが帰国した機会に、滋賀医科大学で講演してもらいましたが、その後に聞いた話です。彼のお嬢さん(ちなみに9才)のボーイフレンドのアメリカ人家庭では三食ともfatty foodの食事で、向こうでは、そのような家が多いとのこと、小さいときから動脈硬化が進むはずです。

ところが、経済発展して幼少期から身体的あるいは精神的に満たされ切った環境に育った現代の日本の若者、そのごく一部には医学部生や研修医の諸君も含まれますが、彼らにおける違いは、なにも平均寿命だけではないようです。その思考過程も、昔と大きく違ってきているようです。たとえば、卒後臨床研修の問題もそうです。マッチングシステムを持って、彼らの就職希望を募れば、なにも研修病院だけでなく、あきらかに皆が大都市部志向・経済的好待遇となります。こんなことは、このシステムを導入するずっと以前から想定された当たり前のことです。新しい研修医制度は失敗するべくして失敗したとしか言いようがありません。

これは、前回の話題である論文捏造(Scientific fraud)とも、相通じる問題です。人間は、知らず知らずのうち、あるいは本能的に、自分の期待通りの(都合の良いデータ?)ものを欲しがるものです。研修医たちには彼らなりの研修病院評価のスケールがあるのです。それが必ずしも悪い訳ではありません。しかし、実際に現場でみていると、個々の病院の実態とは違った評価が学生の間で先走ることもあります。実際、現実は、堅実に卒後教育を考えている地方の大学や基幹病院から、まさしく潮が引くように研修医がいなくなり、待遇の良い大都会の研修病院に集まっています。診療科もハイリスク・ローリターンの小児科・産科などが嫌われています。このような医師の偏在化を来した厚労省のお役人たちには、また彼らなりの評価のスケールがあるのか、新システムを自画自賛して、全く自身に病識がありません(まさしく、上述の自分に都合の良いデータ?)。本当にいつまで続ける気なのでしょうか。

このような混沌の中で、昨年、滋賀医科大学は創立30周年を迎えました。いまこそ、卒業生が母校に残って研修し、日本の医療をリードできる人材に育てることのできる大学となるため、いかにすべきなのか、改めて考え直す時期に来ているように思います。

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Scientific fraud
滋賀医科大学 呼吸循環器内科 教授 堀江 稔

2006年5月1日(月)

最近、データ改竄や捏造が世間を騒がせている。マンションの構造強度の計算からライブドアの粉飾決算など枚挙に切りがないが、ごく身近なこととして論文が盗用された事件を経験した。滋賀医科大学の知的財産にかかわる事態でもあり、関係者においては謝罪文を掲載するなど可能な限り厳正に対応していただいたと思うが、あと味の悪いものである。この件では、論文は日本語の総説であり、これを引用さえしてくれていれば、ある程度の文章の拝借は許されるのかもしれない。しかし、はじめから終わりまで写すような盗用は頂けない。

より深刻な問題は、すでに世の中が高く評価しているCell, Nature, Scienceなどの科学論文におけるデータ捏造(Scientific fraud)である。その罪はよほど重い。最近、ES細胞を巡って韓国の大学教授が追試できない実験結果を報告し、研究生命を失ってしまった。日本でも、昨年来、大阪大学と東京大学で、同様の事件が起きた。学内での処分の軽重に関わらず、やはり、この論文捏造に関与した研究者の評価は地に落ちたと言わざるを得ない。

この関連で思い出すのは、私が1990年に留学していたロックフェラー大学で起こったBaltimore事件である。ご存知のかたもあるかもしれないが、David Baltimoreはノーベル医学生理学賞を受賞した有名なウイルス学者で、若くしてロックフェラー大学の学長に選ばれた。彼は私たちのラボのあった建物のすぐ裏手のEast River沿いにある大学所有の瀟洒なアパートメントに住んでいたが、前任地で指導したImanishiなにがしという日系ブラジル人研究者がfirst authorの論文が捏造であると告発され、結局、Baltimore自身も学長をやめざるを得なくなった。アメリカのマスコミは人種問題とも絡めて、この事件を大きく報道した。

実は、この話には後日談がある。司直の手により論文の正当性を審議する委員会が結成され、10年もかかって調べられた結果、Imanishi、Baltimoreの実験結果は正しいことが証明されたのだ。どこかの国の研究とは大きく異なる点である。再現できない実験や、そもそも研究の要である遺伝子改変マウスが存在しないような実験に対して、日本における、くだんの論文捏造「調査委員会」が出した結論とは対照的である。米国と日本におけるScientific fraudに対する許容度が大きく異なることに、あらためて驚いた次第である。

いま、数学者でエッセイストでもある藤原正彦氏の「国家の品格」という本がよく読まれているらしい。国家だけではなく、研究者や医学者の人品も大切である。これを欠くと、自分の仕事や行為に正直なれず、「下品」ということなる。まっとうに、正直に行ければ「上品」、さらに、この点で優れておれば「特上品」ということになる。世の中、Scientific fraudに罪悪感を感じない(寛容な?)研究者があまりにも殖えるようであれば、大学院を含めた医学教育を一から考え直さなければいけないだろう。この辺りの事情は、日本に先行して論文至上主義が蔓延していた今から30年以上も前の米国でも、違う形で問題となっていたようで、前述の藤原正彦氏の「若き数学者のアメリカ」に収められている「コロラドの学者たち」にも詳しく述べられている。肩のこらないエッセーなので時間があるようなら読まれると面白いかもしれない。

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第20回滋賀医科大学呼吸循環器内科同門会に寄せて
滋賀医科大学 呼吸循環器内科 教授 堀江 稔
2006年2月25日(土)

誰も時間の流れを止めることが出来ない訳ですが、2006年もあっと言う間に1月半がすぎてしまいました。呼吸循環器内科同門会の先生におかれましては、多忙かつ充実した新年をスタートされたことと拝察もうしあげます。教室の運営には常日頃より格別なご支援をいただき誠にありがとうございます。まずは、この場をお借りして御礼申しあげます。

さて、臨床研修必修化によるスーパーローテイトが導入されて2年が過ぎます。この春、初期研修を終了する3年目の若い先生が滋賀医科大学の呼吸循環器内科教室に来てくれ、先輩が活躍中の病院で研修をし、教室を盛り立ててくれることが、滋賀医科大学全体の活性化という点からも最重要課題と考えておりましたが、なんとか4名の後期研修医を迎えることになりました。本日の同門会総会にも出席し、またのちほど自己紹介があると思います。

これに伴い大学の病棟には1-3年目のドクターが一緒に働くことになりますが、3年目の先生は関連病院での後期研修に随時出てもらおうと考えております。さらに、以前の研修制度下で現在後期研修に赴任している先生も、わたしの赴任当初にこの欄でも述べましたように、卒後10年くらいまでは複数の病院をローテートして、多くを経験することが必要です。その中には、たとえば循環器であればより侵襲的なカテーテル治療の習得も含まれます。しかし、まずは一旦シニア医員あるいは大学院生として大学に戻ってきて欲しいと考えています。赴任病院と大学との関連もこれでより堅固となり、また、より幅広い屋根瓦方式の研修が実現できます。

さて、まだ2年間という浅い経験ですが、医学部卒業生がどのような病院にマッチングを希望しているかみていますと、必ずしも待遇や地域などのQOML (Quality Of My Life)だけを優先するのではなく、より多くの急性期疾患が受診し、救急医療が充実しており、しっかりした研修プログラムがある病院を選んでいるようにみえます。現在、新研修制度における大学病院ばなれが進んでおりますが、このような要素が大学に欠けている点、さらに大学の研究中心主義が嫌われた点もあるかもしれません。

しかし、わたしたちの教室はホームページの診療実績にも掲載しているように、呼吸循環器疾患の広い領域で患者様を診ており、最先端の臨床的手技(治療法)も備えています。また、同じく大変、充実した心臓外科学・呼吸器外科学・救命救急学の諸教室と密に連携し診療にあたっており、後期研修をするのにどこにも負けない施設であると確信しております。また、大学に限らず、医師には自分の経験した新しい知見について深く解析し論文(できれば英文の)として広く公表する義務があると思います。技術の修得のみを目的としないで幅広い科学的思考をもって臨床研究を行うスタンスは大学病院でこそ、しっかり身に付くとおもいます。長い臨床医としての研修の中で、大学でより深く勉強し、研究する期間は必要ではないでしょうか。今後、さらにこのような点を内外に宣伝し続けるとともに、より多くの良い実績を上げて若手医師を引きつけたいものです。

さて、2005年の呼吸循環器内科でのニュースを上げますと、不整脈センターがいよいよ夏から開設し、外来が毎日オープンしております。臨床電気生理検査・カテーテルアブレーション症例がさらに増加しています。これに伴い今春から循環器内科のスタッフが一名増員になります。少し古いデータですが、昨年3月の朝日新聞で取り上げられた全国のアブレーション施設の症例統計では、全国で17位、国公立大学附属病院では全国1位でした。また、PCIもDESの導入に伴い、日帰りカテーテルを開始しました。より患者様の負担が少ない形で、follow upカテなどに利用して頂けます。4月から1名のスタッフと1名の医員が増員となった呼吸器内科の診療実績は、紹介患者様の増加と共に、さらに上昇しました。さらに、10月からは、中野講師が呼吸器科診療科長となられ、名実共に独立した診療科となっております。また、中野先生は、COPDの研究で、昨年この同門会に特別講演して頂いた三島先生と一緒にベルツ賞を受賞されました。このあと、ご本人から内容の紹介があります。

最後になりましたが、2年目研修医や学生が院外選択コースとして同門会の先生がたのご病院にお世話になることもあると存じます。なにとぞ、よろしく願いいたします。また、大変良い機会ですので、研修中に呼吸循環器内科へ勧誘して頂ければ幸甚です。

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いよいよスーパーローテートも3年目-『志有事成』
滋賀医科大学 呼吸循環器内科 教授 堀江 稔
2006年1月1日(日)
あけましておめでとうございます。同門会の先生方におかれましては、常日頃より、大変お世話になりありがとうございます。新たな2006年がさらに良い年であることを心よりお祈りいたします。

さて、現在、アメリカで行われており長い歴史を持つ卒後研修制度としてのマッチングシステムがはじまって、ことしの春から早3年目を迎える。この評判の悪い制度自体が始まって、まだ間はないが、もう、20年以上、いろいろな場面で研修医諸君とつきあってきたので、最近の研修医気質の変化には驚かされている。一言で言うと、いつまで経っても学生気分が抜けず、ハングリー精神が完全欠如しており、つねに受け身であり自分で考えようとしないという傾向である。学校で、ゆとり教育が始まった世代は、いまの研修医たちより、もう少し後なのだろうが、過保護に育てられ、少子化で自分から何かを強く求めなくとも生きていける満たされた時代に育ったことに違いはなさそうである。最近の報道によると、ひとりの日本女性が生涯に持つ子供の数は限りなく1.0に近づいているとのこと。いよいよ、中国で国家的に行われている一人っ子政策と結果的には同じことが起こっているのではないかと思っていた。しかし、内実はだいぶ異なるようである。

2005年の夏から、私達、呼吸循環器内科教室に中国西安からの留学生・呉先生が来られ、中国の現状を学ぶ機会が増えた。近年、むこうの大都会では、子供の写真屋さんが大流行だそうである。これは、中国の一人っ子政策が大きく影響しているらしい。国が主導して女性が生涯に持つ子供の数を1.0にしようという訳である。子供が一人となると親の子育ても大きく変化する。かつて、小皇帝とも呼ばれて大切に育てられた子供達も、いまや、親の世代になりつつあると言う。一人っ子としても、もともと巨大な人口の中国は、子供達にとっても、非常な競争世界である。中国の親たちはこぞって英才教育に走るという。その教育原理は、『志有事成−志しをもって事にあたらなければ、なにごとも為し得ない』であり、日本の『できるだけ自由に、ゆったりと育てる』とは対局にある。子供達の伸ばせる才能は、必ずしも、勉学だけはない。その子が他の子より秀でた得意分野を見いだし、そこを伸ばしてやろうとする。

そこで、かの国では10才そこそこの天才ピアニストや作家が生まれることになる。人間の脳は、ほかの動物より生後に発達する部分が大きく、数学などのトレーニングも20才くらいまでが大切とされる。たとえば、国際数学オリンピックでも、中国はブルガリアやアメリカなどのトップグループの常連になっている。かつて、日本はいつも上位であったらしいが、最近は10位前後である。この2つの国では、期せずして、ほぼ同じ時期に一人っ子社会となったのに、実際に育っている子供たち、その極一部は、医学生となるのであろうが、大きく異なって来ている。医学生あるいは研修医諸君が、忠実に日本の若者という母集団を反映しているかどうかは問題であるが、冒頭でも述べたように、わたしは、どうしても彼らに『志有事成』の気概を感じないのである。受験勉強を強いながらも行われてきた自由、はたまた、ゆっとり教育(結局、塾の隆盛?)の弊害であろうか。大学教育の一端を担っている教員のひとりとして、戦後、日本はどこかでボタンの掛け違いをしてしまっているのではないか思えてならない。
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独立法人化2年目を迎えて - 今後の展開? -
滋賀医科大学 呼吸循環器内科 教授 堀江 稔
2005年6月3日(金)
この一年あまりの間、某野球球団の買収やフジテレビとの一件でしばらく堀江貴文氏(通称ホリエモン)が、マスコミ・メディアに連日登場していました。これに関連して、最近、愕然となった事があります。多くの若いおとうさん・おかあさんが堀江氏の両親にどのような教育をしたら「ホリエモン」のように稼げる子供を育てられるのか教えを請うているという記事を見たのです。かろうじて団塊時代の最後世代に人間としては、現在、世の中を席巻している、この強烈な拝金主義には驚いてしまいます。さて、滋賀医科大学も、いよいよ、独立法人化2年目を迎えていますが、全国の各大学が独立採算の経営をするということで、われわれの大学附属病院でも、「稼げ・稼げ」の一年でした。果たして、今後もこの調子で「拝金主義」が続くのでしょうか?教育の現場でもある大学病院で収益ばかりを云々するのは如何なものでしょうか?これに関連して、ことし2月の同門会の時にもお知らせしましたが、最近、附属病院の経営状態が良好であることやスタッフの強い要望と熱意があること等が認められて、長年の念願であった病院再開発のお金を借りることが出来ました。100億円以上の借金です。今後、25年に渡って大学は毎年4億円以上のお金を返済していかなければいけません。いまのところ全体としてみれば診療報酬は増加していますが、25年という長い返済期間の間、このような増収が毎年見込まれるとは、とても思えません。一方、先日公表された今年の科学研究費のうち滋賀医科大学が獲得できた総額は全国で100番近くまで落ちてきています。昨年、わたしは科学研究費の基盤Aを頂きましたが、現在の人的な研究基盤を考えると、このレベルの研究費を継続して獲得していけるかどうか、内心忸怩たるものがあります。そろそろ、本来の使命である教育・研究も見直して、全体としてバランスのとれた魅力ある大学にしないと、滋賀医科大学の将来を担う、肝心の有為な若い人材が集まらなくなるのではないかと心配です。表題の「今後の展開」にあえて?をつけた所以です。

それはさておき、寄附講座「不整脈センター」(Clinical Arrhythmia Research Center: CARC-SHIGA)の計画が進み、来年4月開設を目指して、いよいよ、募金を始めます。21世紀は高齢者の社会であると言われて久しいですが、日本の疾病構造も大きく変化しており、高血圧や糖尿病といった生活習慣病や、これに伴う循環器疾患は急増しております。なかでも高齢化とともに心不全や心房細動の患者様が増加しています。心不全では、その約半数が心室性不整脈により突然死することが知られており、また、心房細動は心原性脳梗塞など重篤な血管障害の原因となります。著名な元野球選手が心房細動から脳梗塞を起こした事実はまだ記憶に新しいと思います。このように近年、不整脈がクローズアップされておりますが、関西地区では、当該分野の臨床研究は大変遅れているのが現状であります。そのような中で、滋賀医科大学においては、伊藤先生・杉本先生が中心となって全国の国立大学病院に先駆けてカテーテル・ナビゲーション(CARTO)システムを導入し、早くから心房細動を含む頻拍性不整脈の心筋焼灼術を安全かつ積極的に多数例で行ってきた実績があります。また、われわれの教室が中心となり全国各地から紹介を受けて、QT延長症候群やブルガダ症候群などの遺伝性不整脈における遺伝子検索やその機能解析を行っております。さらに、芦原先生らのコンピュータ・シミュレーションの研究は世界的評価を受けています。以上のような知的蓄積や実績を考えるとい、いまこそ不整脈センターをスタートさせるときと考えます。臨床不整脈を専門とし広く世界に通用する人材の育成を推進したいものです。もちろん、この目的のためには医学のみならず、理工学、情報工学、分子生物学、遺伝学、薬学など多くの領域から医療人の積極的な参加が大切です。一種のアゴラ的研究の場を提供することにより、不整脈の病態解明、新規診断治療法の開発、さらに社会への情報発信を目指します。もちろん、寄付講座によるこのようなセンターの設立は、関西はもとより、日本でも初の試みとなります。なにとぞ、同門会の皆様のご支援のほどお願い申し上げます。
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独立法人化・DPC包括医療・スーパーローテイト導入を迎えて
滋賀医科大学 呼吸循環器内科 教授 堀江 稔
2005年2月2日(水)
horie2 滋賀医科大学呼吸循環器内科同門会の先生方におかれましては、多忙かつ充実した2005年をお迎えのことと拝察いたします。日頃より格別なサポートをいただき誠にありがとうございます。この場をお借りして御礼申しあげます。昨年は国立大学特に医学部では、明治時代に大学校が設立されて以来の大改革がありました。表題にもありますように、超弩級の変革が3つも同時に行われました。我々は、まさしく、その大きな流れに翻弄され続けた一年でした。このように混乱を極めた一年でしたが、新生・国立大学法人・滋賀医科大学が、今後どのような方向に進んでいくのか、これから数年の舵取りが大きく進路を変えてしまうような気が致します。
  このようなとんでもない嵐の中で、附属病院は着実に診療実績を上げております。現在、国からの診療部門への交付金なしで経営できており、他の多くの旧国立大学附属病院で言われている交付金の一律カットの対象になっていません。これには診療報酬のDPC(Diagnosis Procedure Combination)包括化も貢献しています。合併症のない良質な医療を提供してDPCコードの選択さえ間違わなければ、差益が得られるように計算されており、さらにDPC算定外(出来高払い)となる手術症例は、当科を含めて外科系の多くの診療科が頑張り非常に増加しております。
  滋賀医科大学は、昨年開設30年を迎えましたが、附属病院の建物も大変老朽化しております。最近の経営状態が良好であること、病院スタッフの強い要望と熱意があること等が認められて、長年の念願であった病院再開発のお金を借りることが出来ました(あくまでも借金です)。今年からいよいよ新病棟の建設が始まります。現在呼吸循環器内科が入っているC棟の横、庭があるところに床面積でC棟の2倍近い建物が3年後に完成します。これにともない、他の古い病棟・中央診療部門や外来棟の改修も始まります。
  さて、昨年(2004年)の呼吸循環器内科でも多くのニュースがありました。少ないスタッフで頑張っている呼吸器内科の診療実績はCOPD・肺癌症例などの増加により着実に上昇しました。循環器内科も、最近のカテーテル症例の増加(たとえば冠動脈形成術は223例、詳細は教室のホームページhttp://www.shiga-med.ac.jp/~hqmed1/main.htmlにuploadしてあります)や不整脈・心不全など各分野のバランスのとれた診療実績が認められて11月から新しいアンギオ装置がとうとう稼働し始めました。新装置導入の少し前DES (drug-eluting stent)がやっと日本でも認可されましたが、前評判通り、再狭窄予防に絶大な威力を発揮しており、今後、follow-upカテを中心に外来カテ検査に移行する予定です。
  もう一つの大変革は、スーパーローテイトの導入です。昭和40年代の大学紛争の原因となったインターン制度の再来とも考えられますが、医師免許がありお給料が出る点が大きく異なります。すなわち、国家試験合格者は全員2年間core curriculumに従って研修することが義務付けられました。このことは、われわれの教室だけでなく、すべての分野での専門的研修が2年間ストップすることを意味しており、実質上医学部8年制になったと考えても良いかと思います。地域医療に医師が余っている東京などの大都会であれば問題はないでしょうが、滋賀県のように常に医師が足りない地区での導入には無理があります。また、過去2年間のマッチング経験からも医大生の大学病院離れは深刻です。しかし、今のまま、大学が若いドクターに対する求心力を失ってしまうと、良きに付け悪しきに付け大学中心のこのような同門会は消失し、日本の地域医療は崩壊してしまいます。病院実習などで同門会の先生方には医大生が大変お世話になっておりますが、このような背景を汲んで頂き、ご指導の程お願い申し上げます。
  卒後3年目以降のドクターを大学さらには滋賀県に戻すにはどうすれば良いのか、本当に真剣に考えなければいけない時期に来ています。大学での研究は、もはや若いドクターを引きつける魅力ではなくなったのでしょうか?特定機能病院として、大学附属病院は率先して大学でなければ学べない臨床の種々の手技を実践しなければいけないと思います。また、大学が中心となって臨床研究をもっと進めるべきだと思います。たとえば、当教室の特色のひとつとして不整脈診療が上げられます。最近では県内はもとより京都、奈良、岐阜などからも患者の紹介があり、カテーテル・アブレーション治療も旧国立大学の中では勿論一番の症例数を誇っています。
  このような滋賀医大の特性を最大限利用し、次世代を担う人材を育てるためにも、不整脈センターを寄付講座として開講し、基礎と臨床の研究を進めたいと考えております。幸いなことに遺伝性不整脈の一連の研究成果が認められ、昨年文部科学省の科学研究費基盤Aを頂くことが出来、弾みがついております。今後さらに同門会の皆様にいろいろとご支援をお願いすることになろうかと存じますが、なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。
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呼吸循環器内科教室:この一年の歩み
滋賀医科大学 呼吸循環器内科 教授 堀江 稔
2004年7月17日
早いもので、滋賀医科大学呼吸循環器内科教室に参りまして2年がたとうとしております。大学病院でのこの一年を振り返りますと、呼吸器内科診療のさらなる充実、病院機能評価の一発合格(認定規定がむつかしくなったため非常な快挙であったそうです)、新しいアンギオ装置の導入(今秋には使用開始)、心不全の両室ペーシング治療の開始、心房細動カテーテルアブレーションの好成績など、明るい話題に事欠きません。さらに年初には、冠動脈形成術症例200例を達成することができ、いよいよ日本インターベンション学会の指導医教育施設の認定を受けました。植え込み型除細動器や両室ペーシング治療の施設認定と同様、滋賀県では、滋賀医科大学病院が現時点では唯一の施設施設であります。今後、同門会の先生が参加する形で、現在問題となっている種々の臨床知見についても、エビデンスを集めるような臨床研究が展開できればと考えております。
さて、いま日本の医療は大変な激変期にあります。ひとつには国家的な政策の変化による病院環境の変化です。保険制度の手直しを通じた病院の分業化誘導、スーパーローテイト導入などがあります。さらに4月からは、滋賀医科大学も独立法人化され、病院としての経営の問題、卒前・卒後教育の変革など大きな自己変革が迫られています。他方ではインターネットの普及により患者様の医療知識の増大と医療に対する権利意識の拡大、これを反映した全国的な医療訴訟数の急増があります。さらには医療サイドも個人の経験を重視する医療から、統計的な裏付けをもつガイドラインに基づく医療に変わりつつあります。このような中で、われわれは、患者さんに利益となる医療をフィードバックできること、そのためには柔軟性を持った人材を育成することが、大切であると考えております。柔軟性とは、多岐にわたる疾患に対して的確に診断し治療し得る臨床能力はもちろんのこと、患者様に対する病気についての説明能力であります。この2つのどちらが欠けても、上手くいきません。卒後研修が、医師の全生涯にわたってのものであることを改めて認識し、同門会の先生の積極的なご指導をお願いする次第であります。
幸いなことに、今年は、卒後1・2年目研修医の7名が呼吸循環器内科に参加してくれることになりました。彼らが優秀な医療人になるための卒後研修は、同門会の諸先生のお力をいただかなければ決してなし得るものではありません。なにとぞ、よろしくお願いいたします。今後とも、世界に向けて循環器・呼吸器内科診療に関わる新しい情報発信基地となるよう教室を盛り立てて行きたいと考えております。
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ご 挨 拶
滋賀医科大学 呼吸循環器内科 教授 堀江 稔
2004年2月15日
horie1昨年14年11月1日より木之下正彦名誉教授の後任として滋賀医科大学にまいりました。わたしの赴任まえ、丁度、新しいミレニアム(1000年)の最初の年に、滋賀医科大学の執行部は大きく入れ替わり、従来の講座制がくずれ内科大講座という形で変革期を迎えておりました。また、国立大学の独立法人化や卒後研修の必修化、滋賀大学等との統合問題など、かつて内外にこれほど沢山の課題が山積した時期はなかったのではないかと思われます。幸いなことに第一内科には、教室を創設された河北名誉教授さらに木之下名誉教授の多大なるご努力とすばらしい人望により、高い志をもった優秀な教室員が参集されています。現在の教室の評価と隆盛を鑑みるに、先達の諸先生のご尽力が有ったことを片時も忘れることが出来ません。私自身も、このような教室の一員として参加できることは、この上ない喜びであります。今後とも、より多くの若手医師の皆様が、ここに参加され、世界に向けて循環器・呼吸器診療に関わる新しい情報発信基地となるよう努める所存です。全員が一丸となってこの未曾有の難局を乗り切っていきたいと考えております。
さて着任直後に、お話しをした3つの標語(あるいは私からのお願い)について、ここで少し触れたいと思います。私共の同門会は、このような恵まれた環境(状況)で、さらに教室を盛り上げていくためには、個々のメンバーがopen mind(1)をもって、team work(2)を組んだhard work(3)が大切であると申し上げました。このような努力をしながら呼吸循環器診療の最前線を担うことで社会に貢献できると思います。専門家としての責任と使命を自覚し人間性豊かな医療人を育成することが、私たちの究極の使命と考えています。従来の卒後研修のありかたも、少し考えねばいけません。大学での初期研修のあと、ずっと同じ赴任先病院にいるのではなく、卒後10年くらいまでは、いろいろと病院を廻ってみることも必要です。同門会メンバーの交流にもつながると思います。そして、循環器専門医をひとつの目標とした研修の中で、また、医員なり大学院生の形で大学に戻ってきていただきたいと切に願うところであります。最後になりましたが、同門会の先生方におかれましては、今後とも、ご支援・ご鞭撻のほど、なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。

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