1. ウイルスの病原性を規定しているものは何か(後藤)

 「高病原性鳥インフルエンザウイルスH5N1による感染者がアジア地域とトルコで152人に達し、そのうち83人が死亡」これは、2006年1月26日付のインターネットニュースです。それにしても高病原性鳥インフルエンザウイルスH5N1は、何故、毒性が強いのでしょうか?
 インフルエンザウイルスに感染すると、発熱、頭痛、筋肉痛、関節痛、全身倦怠感などの全身症状が強いので、ウイルスが全身で増殖しているような印象を受けます。しかし、実際、増殖している場所を調べてみると、筋肉や関節、脳脊髄神経系などで増殖していることはほとんどなく、気道を中心とする呼吸器系に限局しているのです。このような局所感染に終わるのが、これまでのヒトインフルエンザウイルスでした。ところが、現在問題となっている高病原性鳥インフルエンザウイルスは、呼吸器を超えて全身でウイルスが増殖できる潜在能力を持っているのです。こうしたウイルスがこれまでヒトの間で大流行を起こしたことはありません。私達ウイルス研究者を恐れさせている理由の一つは、ここにあるのです。
 ウイルスは細胞に感染した後、細胞の持っている様々な能力を活用して子孫ウイルス粒子を産生します。つまり、逆に言えば、子孫ウイルスが感染性のある粒子に成熟するには、種々の宿主因子の力を借りなければならないのです。例えば、ウイルスエンベロープ表面に存在するHA(Haemagglutinin)蛋白質は、その機能をフルに発揮するために、宿主のプロテアーゼによる切断を受ける必要があります。もし借りるべき宿主プロテアーゼが存在しなければ、産生されたウイルス粒子はフルな活性を示すHA蛋白質を持てず、感染性を失い、感染が中絶してしまいます。これが、これまでのヒトインフルエンザウイルスや、低病原性鳥インフルエンザウイルスなのです。つまり、これらのウイルスのHAは、気道のような特定の組織に存在する宿主プロテアーゼしか利用できないため、気道以外の他の組織では増殖することができないのです。一方の高病原性鳥インフルエンザウイルスは、組織特異的に発現している宿主プロテアーゼを利用しなくても、全身のどの組織にでも存在する普遍的な宿主プロテアーゼを利用できるようにHAが構造変化しています。こうして、全身で増殖できる潜在能力を獲得しているのです。
 宿主プロテアーゼの存在場所に一致してウイルスが増殖できるというこの概念は、現在では、プロテアーゼ依存性ウイルストロピズムと呼ばれています。この原理が最初に提示されたのは、実は、インフルエンザウイルスを対象とした研究ではなく、パラミクソウイルス科のNewcastle disease virus(NDV)を使った研究でした1。私達は、この研究の中で、ヒトインフルエンザウイルス、NDV弱毒株、マウスパラインフルエンザ1型ウイルス(センダイウイルス)の感染性ウイルス粒子産生のために必須な宿主プロテアーゼを生体から初めて分離同定し2、プロテアーゼ依存性トロピズムの概念の実証化に成功しました3, 4
 このプロテアーゼ依存性ウイルストロピズムの研究に示されているように、ウイルスの病原性は、ウイルスと宿主との相互作用の上に成立しています。私達は、常にこのことを念頭に置きながら、ウイルスの病原性発現の機構を研究しています。そして、現在、最も力を入れているのは、宿主自然免役応答に対するウイルスの対抗機構の研究です。この機構はウイルスの病原性発現にとても深く関わっているのです。→詳細

【参考文献】
  1. Nagai, Y., Klenk, H. D., and Rott, R., Virology 72, 494-508, 1976
  2. Gotoh, B., Ogasawara, T., Toyoda, T., Inocencio, N. M., Hamaguchi, M., and Nagai, Y., The EMBO Journal, 9, 4189-4195, 1990
  3. Ogasawara, T., Gotoh, B., Suzuki, H., Asaka, J., Shimokata, K., Rott, R., and Nagai, Y., The EMBO Journal, 11, 467-472, 1992
  4. 後藤 敏、ウイルス、42巻、119-131、1992



2. ウイルス癌遺伝子による細胞癌化機構の研究(井上)

 現在、癌は癌遺伝子や癌抑制遺伝子の変異が積み重なって起こる遺伝子の病気であるということが明らかになってきていますが、この考え方が確立されてくる過程で腫瘍(癌)ウイルスの研究は中心的な役割を果たしてきました。
 最初、癌を起こす遺伝子はラウス肉腫ウイルスを始めとするレトロウイルスが持つ遺伝子として発見されましたが、実はこの遺伝子は正常細胞がすでに持っている遺伝子をウイルスが持ち出すことによって活性化し癌を引き起こす遺伝子になったものであることがわかったのです。ヒト癌の発生においてもこのような癌遺伝子の活性化が高頻度で起こっていることがわかっています。また癌抑制遺伝子DNA修復遺伝子の不活化も癌の悪性化には必要であると考えられています。
 また近年ヒトの癌の発生に直接関係しているヒトがんウイルスも見つかってきました。成人T 細胞白血病を引き起こすヒトT細胞白血病ウイルス(HTLV)、肝癌の発生に関与しているヒトB型肝炎ウイルス(HBV)、バーキットリンパ腫にはEBウイルス(EBV)、子宮頚癌の原因と考えられるヒトパピローマウイルス(HPV) などがそうです。これらのウイルスは上記のレトロウイルスのような癌遺伝子を持たず、さらに感染から癌発生にいたるまで非常に長い潜伏期間があります。このようなヒトがんウイルスがどのようにしてヒトに癌を引き起こすのかを明らかにすることは非常に重要であると考えられます。

 私達は癌ウイルスによる細胞癌化の機構を明かにするために癌の発生に関わっているウイルス癌遺伝子の機能を解析するとともに、ウイルス遺伝子産物が作用する場である宿主細胞側の細胞癌化過程に関与している遺伝子や癌化抑制に関わる遺伝子を同定しその機能を分子生物学、細胞生物学および発生工学(トランスジェニックマウスやノックアウトマウスの作製)の手法を用いて解析しています。現在、集中的に行っているのは我々がクローニングした 新規癌抑制遺伝子drsの機能解析です。また我々はヒトなどの動物細胞に効率よく遺伝子導入ができるレトロウイルスベクターの実験系を持っており、主として培養細胞における遺伝子機能の解析に使っていますが、将来は癌の遺伝子治療にも発展させていきたいと考えています。

新規癌抑制遺伝子drs
 井上助教授が今、研究者生命(?)を賭けて研究している新しいタイプの癌抑制遺伝子。最初、井上らによってv-src(ウイルス癌遺伝子の一つ)によるトランスフォーメーションを抑制する活性を持つ遺伝子としてクローニングされた。大腸癌など種々のヒト癌細胞株や悪性癌組織にdrs遺伝子を導入し高発現させると悪性化が抑制されることからdrsはヒト癌発生においても癌抑制遺伝子として働いていると考えられている。 →詳細

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