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僕の心臓外科武者修行
アメリカ心臓外科臨床研修への挑戦

なぜアメリカなのか?

2015-06-26

岩教授へのあこがれ、心臓外科医になる夢、好奇心

なぜアメリカなのか?
 大学卒業前の謝恩会で、当時不整脈をはじめとする心臓外科の権威の金沢大学第一外科岩喬教授(現名誉教授)に、自分は先生のように一流の心臓外科医になりたいと話した。岩教授は即座に、それならアメリカで臨床のトレーニングを受ける位 でなきゃダメだと答えられたのを憶えている。
 日本国内の施設で多くの医師が研鑽を積んでいるにもかかわらず米国で修練した医師が高く評価されるのはなぜなのか。毎年米国をはじめとする外国の心臓外科医ばかり学会で特別 ゲストとして重宝がられるのはなぜなのか。アメリカでの心臓外科トレーニングはいったい何が違うのか。などと疑問と好奇心のかたまりになったのを思い出す。実力のある心臓外科医になりたいという強い気持ちと同時に、こうした自分の問いに答えを出すためにアメリカでレジデントとして臨床留学しようと心に決めていた。

英語、資格試験をどうする?

 大学の後半ごろから、自分が将来どの分野でも一流の仕事をするには最低十分な語学力が必要になるだろうと考えて、英語はかなり勉強していた。アメリカで臨床医学にたずさわるには、ECFMG (Educational commission for Foreign Medical Graduates)が行っているFMGEMS (Foreign Medical Graduates Examination of Medical Sciences)という基礎医学、臨床医学、英語からなる試験が当時からあり、かなりの難関と聞いていたが、卒業一年目の夏に受けたところ運よく一回で合格した。今考えると、この試験は早く受けるほど楽であり、国家試験の勉強の知識や基礎医学の記憶が新しいほどその努力が少なくすむと思う。実際、医局の研修プログラムが進むにつれ、日々の仕事は増え、自由になる時間、睡眠時間は減るもので、なかなか試験のための勉強時間などとれないものである。志のある若い人達は、国家試験の延長でこのような試験に通 ってしまうことを私はすすめたい。challenge01.jpg

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どの施設に行けるのか?運命の出会い!?

2015-06-26

施設選びが問題であり肝心!

  難関といわれるECFMGの試験は運よく通ったが、実はアメリカ臨床留学へのさらなる難点は施設の受け入れである。資料を調べ50通 以上の問い合わせと願書請求を出したが、ほとんど色よい返事は得られなかった。それもそのはず、評判の良い施設ほど、より優秀な自国のresidentを受け入れたいのは当然で、まともにマッチングプログラムに参加しても良いポジションは得られにくいのである。ECFMG Certificateを取得すると、3年以内に米国トレーニングプログラムに入る必要があり、それを過ぎると無効となり再度英語の試験を受けなければならなくなる。少しばかりあせりと諦めに近い気持ちになりかけていた。

スペンサー教授との出会い

 ところが、私にとって幸運だったのは、岩教授が第40回日本胸部外科学会を主催され、その際にゲストとして8名の著名な海外の権威を招待され、私はニューヨーク大学医療センター(NYU Medical Center)のFrank Spencer教授のお世話をさせていただいたことである。岩教授の粋なはからいにより、Spencer教授と知り合い、その後residentとしてNYUに行きたいと連絡したところ、結局卒後3年目にNYUのSurgical Residency Trainingに約2年のゲストレジデントとして受け入れられ渡米することができた。ちなみに2年先輩にあたる渡辺剛先生(現金沢大教授)は同じ学会でハノーバー医科大学のHans Borst先生のお世話をされ後にドイツ留学されていることは、前回の連載で読者の方もご存じのことと思う。米国プログラムのマッチングは、ECFMG試験合格より難しく、自分が望む良い施設への受け入れはそれよりさらに難しいことと考えると、米国全土でも名門として知られるNYUへの受け入れはまさに奇跡に近かった。岩教授とSpencer教授に与えられたチャンスをつかみ、1988年に弱冠27才ではじめてニューヨークの地を踏むこととなった。単身乗り込む気分はさしずめ宮本武蔵の心境であった。
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NYU Medical Centerへ留学決定!

NYU Medical Centerとはどんなところ?

  NYU Medical Centerは1960年代には最も早く内胸動脈による冠動脈バイパス術を報告している北米の名門施設で、当時Frank Spencer教授のもと、外科レジデントプログラムは全米でも最も厳しく高いレベルと評価されていた。また、心臓外科ではどんな重症でも決して手術を断らないモno refusal policyモで米国全土の他施設で手術不可能とされた手術を成功させてきた実績で有名であった。近年ではPort access, roboticなどMICSに関しても世界をリードする実績をあげていることは記憶に新しい。NYUはニューヨーク、マッハッタンの東ミッドタウンの、国連本部から南に歩いて3分に位 置しているが、NYU Medical Centerという場合、大学病院(Tisch Hospital)に加え、隣接するニューヨーク市管轄のBellevue Hospital, 連邦政府管轄のManhattan VA hospitalを含む病院郡で2000床を超える外科病床をかかえ、年間約2000例の開心術を施行している。
challenge0345.jpg大学病院(Tisch Hospital) 市管轄のBellevue Hospital  Manhattan VA hospital

  NYUの臨床は、Spencer教授をChairmanとし、8人のattending cardiothoracic surgeonが指導を行っていた。その下にFellow(米国ではgeneral surgery 5年のresidencyの後に、心臓など専門のfellowshipが2年ある。)をグループのチーフとして、その下に2~5人の卒業1年目から3-4年目のsurgical residentがチームを構成していた。またその下に、医学部最終学年のsub-internがチームに加わり、実際当直をresidentとともにするといった具合だ。
 ニューヨークは生き馬の目を抜くような凄まじい競争社会と聞いていたが、そこには世界中から夢と野心を持った若者が集まり、いわゆるvibrant energyに私自身も突き動かされて計五年半にわたる留学生活を送ることとなった。
 また、心配していた金銭面では留学当初から、house Staffとして年2万数千ドル(チーフ時には4万数千ドル)のサラリーがあって、正直いって医師や資産家の息子でない自分にとって大いに助かった。これは、私が単に外国から来たSpencer教授のお客さんという立場ではなく、他の米国人resident同様の働きを当然要求されることを意味しており、私はそのことが何より嬉しかった。そういうわけで、日本の先輩達から聞いていた留学前にバイトで荒稼ぎするような準備や親から法外な仕送りをしてもらうような事態は避けられた。妻の質素にやりくりする隠れた努力もあって、物価が決して安くないニューヨークではあったがそれなりに楽しい思い出となっている。

NYUのSurgical Regidency Program

いよいよレジデントに

  私は渡米後、卒後2年目のsurgical residentとして、プログラムに加わったが、私の他にもフランス、スイス、ブラジル、スペイン、インドなど外国から来ている若手も少数いたが、大多数は米国人であった。ローテーションは主に心臓血管外科を中心に回ったが、毎日の手術でまずは第2助手として大伏在静脈を採取することから学んだ。ICUと病棟では、重症患者を含め、2-3日に一回の当直を含めはじめからすべての業務をまかされる。residentとは、その名のとおり、病院の住人のように拘束時間は限りなく長いが、NYUではその後のポジションや、より高いレベルの外科医を目指し、高いmotivationを持って激務をこなしていた。外科医は、まず深く患者を診ることができ、自ら責任をもって臨床判断を下せる医師であることをNYUでは強く要求される。それができない人間は、米国人であろうと外国人であろうともちろん心臓手術で大切な役割を与えられない。residentの1日は朝6時(グループによっては5時半)から回診が始まり、多いグループでは40人~50人の患者の治療方針細部にわたる指示をチーフ中心に決定し、それをresidentが行う。その後5分位 で軽い朝食をすませて手術に入るが、一日多い時には3-4例の手術に入り、夜は夕回診の後、明日以降の患者のカテーテルフィルムをattending surgeonと検討するといった毎日だ。
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Manhattan VA hospitalでjunior staffを引き連れて回診している私

チーフの責任と権限、Making a leadership

 このシステムの中で、特筆すべきはチーフの独立度と裁量 権である。患者の術前管理、手術予定、術式、術後管理に関してチーフは、イニシアティブを持ち、attendingの監督下ではあるが、自ら考え判断し治療の主役となる。またその臨床判断や技術は、後にMortality and Mobidity conferenceで厳しく検証される。つまり、かなりの心臓外科臨床における権限と責任を管理下で与えられるチーフは、臨床判断力、高い技術、見識、チーム内外でのリーダーシップ、コニュニケーション能力を備えていなければとてもつとまらない。反面 NYUのチーフは、年間500例の開心術を特殊なものを除き大部分自ら執刀、またはattendingとともに執刀し管理する特権が与えられており、米国の他の施設でも稀な膨大な臨床経験が得られる立場である。academic facilityが、同時にトップクラスのteaching hospitalであるというNYUならではのスタイルは、全米でも評判は高く、毎年かなりの数の応募者からフェローが3ム4人選出される。
 また、民主主義の総本山であるアメリカにありながら、chairmanのSpencer教授を頂点とするこのNYU Department of Surgeryは、完全な上下関係のヒエラルキーが構築され、たとえば2年目は3年目の指示に対し従い、1年目の指導の責任を負う。逆に手技、管理能力、指導力がなければ、下は統率できず上の立場はつとまらない。実際、優秀な米国人でも途中で辞めてゆくものもいる。心臓外科医が多くの人の中でのリーダーとして活躍できる資質が強く要求されていることを痛感した。

心臓外科医になるCardiothoracic Fellowship

難関cardiothoracic fellowのポジションをゲット!

  実力のある心臓外科医になるトレーニングとして、何とかNYUでcardiothoracic fellowのポジションを得たいと考え、residentとして修練を行いながら、様々の自己アピールを行った。術前の冠動脈造影を詳細なイラストに描き、毎回自主的に準備したり、リサーチラボに出入りして内胸動脈skeletonizationや心筋保護の研究を行ったり、学生のころから興味があった複雑先天性心疾患に対して他のフェローたちより深い知識を披露したりして、自分を多くのレジデントの中から認めてもらい、ついに1992年からのfellowのポジションを獲得した。
 初めの2年半をsurgical residentとしてNYUの臨床研修を過ごし、一時期帰国の後、再渡米しresearchを一年、そして臨床cardiothoracic fellowとして2年を経験した。1992年スタートのcardiac fellowは、日本人初(そのころには和製ニューヨーカー?)の私の他に、3人の米国人が選ばれており、NYU生え抜きのイタリア系ニューヨーカーC. LaMendolla, Mayo Clinicで外科レジデントを修了したR. Carlson、NYUでは黒人初でHoward大学出身のM. Parishで、現在彼らはみな全米各地で指導的な臨床心臓外科医として活躍している。
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写真7 Dr. Spencerと1992年のcardiac fellow

 fellowとして私が学んだことは、決して紙面 に書きつくせるものではないが、手術に関しては、移植以外のほぼすべての領域の手術を術者または共同術者として約500例ほど経験でき、助手をいれると1994年に33才で帰国するまでに計5年半のNYU研修時代には数千例の手術に入ったことになるが、これは残念ながら現在あるいは今後の日本でも、また他の米国施設でもまず経験することは難しいのではないか。人工心肺使用の冠動脈バイパスや弁手術はほぼすべてを、その他大動脈解離、瘤、先天性心疾患、あるいは初期のICD、ペースメーカー、肺手術、種々の合併症に対する手術といった莫大な数の経験を手術室内外でかなりの権限で行う機会はまさに圧巻であった。帰国後、新たに登場した心拍動下手術を始めとする心臓手術手技の変化に際し、金沢循環器病院、滋賀医科大学において自分の指導医がない状況で手術を進化させ得たのは、徹底したNYUでのトレーニングの賜物である。

米国留学、NYUで学んだこと

5年半のアメリカ留学で何を学んだか?

 ただ私自身が現在、心臓外科の一線で活躍する立場として、学んだことは、心臓外科医がいかにあるべきかという心構えであったと思う。圧倒的な数と質に対し責任を持って関わる厳しい鍛錬のなかで、集中力、精神的耐久力、周囲のスタッフに対する説得力、信頼されるに足る実力を培い、絶対に患者を救いたいという強い情熱を持った医師像がそこにある。日本では、難しい手術が成功すると、手術がうまいとか器用だとかセンスがあるとかいう何とも抽象的な理解しかされないことが多いが、こと心臓外科に関しては高い技術の研鑽以上に、いかに困難な状況下であらゆる臨床判断(clinical decision-making)を責任をもって適格なタイミングで下せる能力が、何よりも大切であることを身を持って学んだ。これが、私の財産であるといっても過言でない。
 また現在、教授となって思うことは、NYUのシステムが多くのスタッフによって成り立つにも関わらず、司令体系、責任の所在、個々の医師の高いmotivationが非常に明確で、皆が新たなステージに向かって前進していることである。どこかの国の大組織のように肩書きある人間が自己保身に走り、一つの責任の所在があいまいでシステムに責任を帰するようなメンタリティーでは、百万年かかっても追いつけないだろう。この稿の筆をとり今さらながら自分に与えられた現在の重責に思いを至らすようになった。

これからのチャレンジしたい人たちへ

  臨床心臓外科医、それも一流のプロフェッショナルなレベルを妥協なく目指したい若い人達へ。過去も現在も、国内でも海外でもその道は長く厳しく険しい。そのための海外留学は、行き方、帰り方、そのタイミング、施設の選択など多くの難しい問題があることは事実である。しかし、こうした諸問題を乗り越えるエネルギー、目標を達成するまで決してあきらめない姿勢によってはじめてすばらしい人との出会い、すごい世界の発見があり、本当の意味で学ぶことができると私は信じている。私はそうした君たちに熱いエールを送るつもりで、自らの体験記を書いてみた。