さざなみ(図書館報) 滋賀医科大学附属図書館

シリーズ「本との出会い」(6)
『シッダールタ』再考

英語 助教授 相浦玲子

今から十年ほど前にもヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』について書いたことがあるが、その後もこの本は、心の糧でありつづけている。文学を専門とする私にとって本を読むというと、身構えて、分析的な態度になりがちであるが、この本は私を素直な気持ちにしてくれる。
私は英国留学中に各国からやってきた若い研究者に出会い、それまで深く考えていなかった東洋と西洋という概念をこのとき身近に感じることができた。文化を異にする国に行って初めてアジアに目が開かれたといってもいいかもしれない。異国での勉強がスランプに陥っていたとき、やはり文学を研究しているインド人の友人が英訳版のヘッセの『シッダールタ』を推薦してくれた。専門以外の分野の本を読んでいる暇などなかったはずなのに、この本は、心に染みて私の中で大きな力になった。
「シッダールタ」は、本来ブッダ(仏陀)の名前であるが、西洋の、しかもクリスチャンの作家、ヘルマン・ヘッセによって書かれた作品である。ヘッセは彼の親や祖父母がキリスト教の宣教師として長くインドに滞在していたことはあるが、彼自身は意外にもインドで暮らしたことがない。そのヘッセが人間の本性を見据え、生と死、この世におけるあらゆる執着−物質的あるいは精神的−の向こう側に至る道を、彼の作り上げた主人公、シッダールタに託して描く。ゴウ゛ィンダはシッダールタの幼な馴染みで、共にバラモンの修道院で修行していたが、あるとき二人はブッダ(ここではブッダはシッダールタと別人として扱われている)の説教を聞いて深く感動する。ゴウ゛ィンダは、ブッダに従って出家して、そこで修行の生活を始めるが、シッダールタは、それでは心が満たされず、次から次へと気がむくままの生活を送る。カマラという女性に強く心をひかれたり、カーマスワミという商人の元で、ひたすら利潤の追求にいそしみ、欲にひたった生活をして、物質的に満たされるが、心の充足感は得られない。人生の多くの出来事に遭遇した後、すべての希望に破れ、倦み、疲れたときに、川で渡し守のウ゛ァスデウ゛ァに出会う。彼は一見、ただの渡し守の老人であるが、シッダールタは毎日、川を眺めてこの人のもとで暮らすうちに、この人の中にブッダの持っていたあの晴れやかで、平和な表情を見てとる。彼自身も、目の前を流れる川に耳をすまして聴くようになる。川はすべてを含みながら、しかし、過去(への執着)でも未来(への欲望)でもなく時間を超越した現在を秘めていることを彼は次第に悟る。
シッダールタとゴウ゛ィンダは、老年になってから川のほとりで再会する。そのときゴウ゛ィンダは仏教集団の高僧になっているが、シッダールタは一介の渡し守にすぎない。彼は最初は、多くの幸せそうな家族を対岸に渡すとき、愛し、愛される者を持たないわが身を嘆くが、そのうちに深い同情を持って人々を見られるようになった。彼は愛する者も、財産もすべて失い、バラモンとしての誇りからも離れていたが、それによってはからずも、この世のすべての束縛から解き放たれ、主張する自我にも悩まされなくなっていた。求道者ゴウ゛ィンダは、これこそが悟りへの道だと気づき、どうすればそのように成れるのかをシッダールタにたずねるが、それぞれの人格によって異なるはずの悟りへの道を他人に訊ねる行為そのものが、ゴウ゛ィンダを真の悟りから遠ざけているにほかならないことには気づかない。シッダールタはかつてブッダに出会ったときに、その姿に大きな感銘を受けるが、ゴウ゛ィンダのように、そのあとに従い、その教えをあるがままに受け入れることはできなかった。彼は人生で大きな廻り道をしたあと、ようやくそれも必要な過程であったと認め、すべてを是認できるようになる。
インドの友人は、この作品の中に出てくるサンスクリットやヒンディー語の言葉の説明をして、商人の名の意味は、カーマ=「欲望」スワミ=「主人」であること、そしてウ゛ァスデウ゛ァとは、「すべてのものが宿り、すべてのものに宿る者」という意味であることなど、如何にヘッセがインドや仏教に対する造詣が深いかが窺い知れるということを教えてくれた。これ程までにインドの魂を描き得た作品は少なくとも今世紀にはない、と私の尊敬する友人は言い切った。ただ、ヘッセが思いもよらないところで冒した異文化理解の上での小さな過ちも指摘してくれた。それは、おおむね暑いことの多いインドでは、人をもてなすときに、「温かい」もてなしというよりは「冷たい、涼しい」もてなしをするはずだというものであった。私たちは(少なくとも自戒の念をこめて言うのだが)、たしかに異文化をみるとき、自分の持つ価値観や文化の基準で物事を考えがちである。そしてともすれば自己の基準を他に押しつけたくなるものだ。この友人の指摘は、些細なことながら、私に異文化を理解するということについて真剣に考える機会を与えてくれた。
寒いヨーロッパの気候の中にあって、太陽のさんさんと照るやしの木の下で瞑想にふけるシッダールタを想像することはむずかしかったが、文化的背景を教えられることによって、ずいぶん理解を助けられた。そして卑小なことに行き詰まって悩んでいる小さな存在の私の内面に、多くのことを語りかけてくれた。今でも『シッダールタ』は、この本を読むたびに浮かびあがってくるなつかしい想い出と共に、人生に介在するさまざまな葛藤を超えて、真摯な生き方の一つを私に示してくれるのである。

(あいうられいこ)


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Last updated: 1997/8/8