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守一堂文庫について

書名

分類

守一堂文庫は、昭和54年安倍勉氏より本学図書館に寄贈された同家伝来の漢籍・医籍類である。安倍家に伝わっている図書目録に、「守一堂藏書」とあるので、本学でもその名を踏襲して保存することとなった。守一堂という名は、恐らく同家の塾名であろうが、そのよって来る所以は安倍家にも伝わっていない。五代史・張薦明伝に「夫一、萬事之本也、能守一者、可以治天下、(ソレ一ハ、万事ノモトナリ。ヨク一ヲ守ル者ハ、以テ天下ヲ治メルベシ。)」とあり、守一は一事に専念する事を意味する。安倍家では守一、すなわち医業に専念することを家訓として、塾名に守一堂と名付けたのではないだろうか。

安倍家は代々医をもって業とし、安永5年(1776)安倍惟敬が現滋賀県近江八幡市馬淵町に家塾を開いたのが始まりとされている。初代・惟敬(延享3年生、文化2年歿)以後、2代・帰山(天明5年生、天保7年歿)、3代・鳳輔(文化8年生、明治3年歿)、4代・料平(嘉永3年生、昭和2年歿)、5代・秀六(明治23年生、昭和32年歿)いずれも上述の地で医門を継承してきた。現当主・安倍勉氏は、医家ではないが、同氏の長男・義明氏が小児科医(本学小児科勤務)として先祖の遺業を嗣いでおられる。

さて、江州では古来、保守の気風が強く、賀川玄悦のような進歩的な医家が出たとはいえ、江戸時代、当地で活躍した医家の多くは、古医方派であった。当然の事ながら蘭方の導入は、江戸や京師に比べてずっと後の時代である。このような風潮を反映してか、守一堂文庫に遺っている医籍は、殆んどが漢方書である。数種ある蘭方書は、いずれも幕末か明治のものである。

余談になるが、近州が生んだ古医方派の大家、中神琴溪は、安倍家初代の惟敬とほぼ同年代の人である。琴溪が一時期隠棲した近江田上は、安倍家のある近江八幡とさほど離れていない。守一堂文庫に中神琴溪の「生生堂医譚」が遺っているので、守一堂と生生堂(琴溪の学塾名)には交流があったのではないだろうか。

なお、守一堂代々の墓所は、今も近江八幡市の福寿寺にある。

滋賀医科大学産婦人科講師 石黒 達也

(『滋賀医科大学古書目録』(1981年刊)に掲載したものから石黒達也先生(所属・職名は当時)の解説を抜粋転載した。)

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