医学古書常設展示 滋賀医科大学附属図書館

河村家について(2)
  河村家と彦根藩の関係を物語る第二の史料は「稽古館古記」である。彦根藩の藩校は直亮・直弼の父である直中が1799年(寛政11)に創立し、最初は幕府に遠慮をして「稽古館」と称していたが、のちに直亮の時代、1830年(天保元)に弘道館と改称される。したがってこの史料は1830年以前のものとみてよい。それによるとこの稽古館のなかに、医学寮が併設されており、主要科目として儒学(古文書学)のほかに、医学も授業されたのである。そして河村家は、この医学寮の支配人であったことがわかる。しかし、この医学寮が、本格的な医師養成機関であったのかどうかは、うかがい知ることは困難である。
  河村家と彦根藩の関係を示す第三の史料は移動用の薬物収納庫である。本学図書館に陳列されているが、大きな塗りの箱に「河村家」と白ぬきされた濃紺のカバーがついており、城内への往診に用いたものとしては大きすぎる。これは明らかに、河村家が藩主の参勤旅行に随伴したことをしめしている。また、参勤旅行のみでなく、彦根藩が英艦警備にあたっていた相模国松輪崎近辺の巡見が1847年(弘化4)直亮によっておこなわれているが、それに随行していることが他の文書からも推察できる。
  このように、河村家に対する井伊家の信頼は絶大なものがあった。また、河村家の人びともたんなる医家にとどまらず、彦根藩という窓をとおして幕末の政治や文化の動きを複眼的視野においてとらえておられたものと思うのである。

         友吉唯夫(泌尿器科教授、日本医史学会会員)
         「滋賀医科大学古書目録」より

Back[前のページに戻る]

                    

追記:河村純一博士は昭和62年2月24日他界された。滋賀青垣会より追悼集『臘梅忌に寄せて』(本学未所蔵)が出版されているが、博士のお人柄を偲ぶことができる。家屋も道路工事のために取り壊され今はない。


[医学古書展示] [Library home page]
滋賀医科大学附属図書館
Last updated: 11/18/96