医学古書常設展示 | 滋賀医科大学附属図書館 |
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合 信著 安藤桂州訳 安政4年(1857)
中国在住の英国人医師 B. Hobson が1851年に出した書物の翻訳で、訳者は長崎遊学経験のある京都の医師安藤桂州(1801〜1859)である。安藤桂州は他にも Hobson の産科書を訳し、『婦嬰新説』として出版している(1859)。
安藤は、京都で名声の高かった日野鼎哉( ヒノ テイサイ 1797〜1850)の弟子であり、のちに養子となった。安政6年(1859)京都にコレラが大流行したとき、鳩居堂の熊谷が木屋町御池に設けた「病人世話場」に勤務中、安藤も感染して死亡した。
安藤桂州の娘・弘子の婿養子となった安藤精軒(1835〜 1918)はのちに京都医療界で重要な地位を占めた人である。