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ヨット活動における安全対策

まえがき

 平成4年9月、我がクラブは新入部員を練習中に亡くすという大きな事故を 経験した。昭和52年に創部以来順調な発展をしてきた中で、安全に対する配慮がおろそかになっていたことが事故の遠因であった。
 大学におけるヨット部活動はセイリングスポーツとしてレースでの勝利を目指し、シーマンシップを身につけた人格の陶冶を目的とする。この目的は安全な活 動を通して達せられねばならない。ヨット部活動を再開し練習を続けていくために、今後再び事故を起こさないようにすることが残された我々の責務であった。 この為の一つの方策として事故予防の指針となる安全対策マニュアルを、われわれの手で独自に作る作業を始めた。この冊子はその成果である。5回生の諸君が 中心となって半年以上をかけてまとめたものであり、その努力には大いに感謝するところである。今回のマニュアル作成は安全対策の第一歩であり、今後の日々 の活動で気付かれたことを随時付け加え、より完成されたマニュアルを作り上げていく努力が必要である。このような日常の安全に対する認識がこのマニュアル を真に有効なものとする。
 最後にこのマニュアルを嶋岡秀典君の御霊前に捧げ二度と再び事故を起こさないことを改めて誓うものである。

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このマニュアルを読む前に

 この安全対策マニュアルは、出艇前、出艇後、トラブル発生時の三場面に分け、ヨットの練習を行う際にしなければならない安全対策を時間の経過に沿ってま とめたものです。
 よってこのマニュアルにしたがって安全対策を行って行けば、想定し得る限りの状況に対応できます。また、天気図からの風の読み取り方、救命救急法も補足 しておきましたのでそれらを参考にして安全対策をさらに確実なものにして下さい。

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1.出艇前に行うべきこと

 琵琶湖では、セールボード、ヨット、その他のプレジャーボートは、出艇前に水上警察に出艇の予定計画表を提出することになっています。大学のクラブ等も その例外ではなく、出艇、帰着の際に水上警察に報告すべきですが、実際に毎回その報告をしている団体は少ないと思われます。理想的には、報告を義務づける ことが望ましいのですが、それをできない場合には少なくともシーズン前にその団体の年間計画表等を提出しておくのもよいでしょう。また、なるべく他の団体 とのコミュニケーションをとり、情報交換、救助体制の確立などを行うべきでしょう。

 次に天候ですが、おそらく多くのセイラーが実行しているとは思いますが、少なくともその日の気象状況を熟知している必要があるでしょう。それは、その当 日が晴れているとか、風が弱いとかいうことも大切ですが、「これから先」のことを予測することが大切になってきます。例えば、午前中は微風でも寒冷前線の 通過等により想像もつかないような突風が吹いて来ることがあります。過去の例からでも急に突風が吹き出して事故に陥っているケースが非常に多いので、この ような事故を防ぐためにも天気予報を聞いて気圧配置や、前線の位置等を知り、当日の天候の変化を予測をすることが大切です。また、風向にはその地域の地形 が大きく関わっており地域によってある程度決まっています。その地域で何年か活動しているセイラーであれば、ある程度理解していると思いますが、クラブ活 動では低学年等の経験の乏しい者はベテランのセイラーや、経験者に教えてもらうべきでしょう。また、クラブに気象係を決めて練習日の気象を確実に把握させ 出艇前に部員全体に気象情報を熟知させなければなりません。

 以上、天候の変化を予測することが大切であるということについて述べましたが、いま吹いている風で出艇するかどうかの判断も重要です。クラブとしてキャ プテンは各部員の体調と技量、気象状況を考慮し出艇不能と判断された場合は出艇を見合わせる決断をしなければなりません。

 次に、ヨットに乗るときの服装についてですが、ヨットに乗る乗らないに関わらず、海面に出るときはライフジャケットを着用しなければなりません。当然十 分浮力のあるものを正しく装着しなければなりません。そのために定期的にライフジャケットの浮力試験を行い不適当なものは廃棄します。また、ベルトや腰紐 は確実に締めなければなりません。また、4月ごろのポカポカした暖かそうな日でも急に強風が吹き出したり、真夏であっても雨が降り風が強くなったりする と、かなり肌寒く感じるものです。このように、天候や季節によって服装を変えるのではなく、そのときの状況に応じた服装をすべきでしょう。天候の急変が予 測されるときは防寒具を準備して出艇すべきです。また、艇内での外傷を防ぐために素足では乗らずにヨットシューズ、ブーツなどを着用しなければなりませ ん。陽射しの強い日には、サングラス、帽子等を着用すべきです。
 レスキュー艇の存在は天気の良し悪しや風の強弱に関わらず、練習を行う際には、必ず出艇しなければなりません。とくに少人数や経験の浅い部員を混じえて 練習する場合は、思いも寄らないトラブルが発生したときにレスキュー艇を出艇させていないことが大事故を引き起こすことになります。レスキュー艇には、無 線機、救命ブイ、発煙筒、フラッグ、黒板、メガホン、救急医療品などを常備し緊急時に備えます。

 自分達が乗る艇の整備は当然行わなければなりません。マストのステイが1本切れただけでも、デスマストを起こしかねないし、それが大きなトラブルの原因 となるからです。また、レース中に艇の接触があり、ハルに損傷をきたした場合なども同様です。また、万一の時に備えて予備のシャックルやシートなどを積ん でおくべきです。また、ヨットだけでなく練習を行うのに必要となる備品は定期的に点検しておかなくてはなりません。

 また、最近のマリンスポーツの人気で、いろいろな人たちがヨットに親しみ始めましたが、相手が、他のレース艇だけではなく、自然をも相手にしているとい うことを忘れずに、充分に体力作りをしなければなりません。遭難した場合、体力の有無が生還のカギになることが少なくありません。シーズンオフには基礎体 力の増進を図り、シーズン中にはその保持に努めなければなりません。
 以上の条件がすべて揃っていて、天気もよく良い風が吹いてたとしても、自分自身の体調がすぐれない場合には、思い切って出艇をやめなければなりません。 この場合、レース中以上に冷静な判断と勇気が必要となるのです。

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2.出艇後に行うべきこと

 出艇後に陥る危険な状態には、落水、転覆(沈)があります。それらの発生原因には、1.気象状況(強風、視界の悪化)、2.判断の甘さ、3.操船技術の 未熟さ、4.艤装の不備、5.指導の甘さの五要素が上げられます。1〜5の要素別に、事故を防止するための適切な対処法を以下に述べます。

1.気象状況

 出艇したら、天気予報等の情報から予想される気象の変化を考慮して練習する海域を決めます。風が強かったり、視界が良くない場合には、陸に近く他大学が 集まっている練習海域にすると良いでしょう。
 注意していれば気象の変化は水平線の彼方から徐々に起こるのが分かります。各自が雲の動き、風の変化に注意を払い、頻繁に情報を交換する必要がありま す。気象が変わる兆しが見えたら即座に対応しないと、予想外の変化のスピードについて行けず危険です。そのためには各艇が離れずに練習しなくてはなりませ ん。特にレスキュー要員は気象の変化について注意を怠らないようにし、異常に気がついたら直ちに練習艇に伝える努力をするべきでしょう。

2.判断

 突風、強風の前兆があれば練習海域を艇庫に近い場所に移動させます。陸に近ければ、万一の場合に陸からの救助が期待できますし、風向によっては陸に流さ れやすくなります。
 更に、風が強すぎる場合には艇庫に帰着することを考えます。とくにレース前には焦りから無理な練習を強行してしまいがちですが、そのときの自分の技術、 体力を正確に把握し、危険を感じたら直ちに帰着する判断力が欠かせません。

3.技術

 転覆を起こしやすいオーバーヒール、ジャイブ、ブローチング等に十分注意します。オーバーヒールには、風上側への速やかな体重移動、シバーによるパワー のダウン、ティラー操作(バウを風上に向ける)によって対処します。
 ジャイブの際は艇が不安定で転覆しやすいので、まずローリングさせないことを心がけます。センターボードを入れるのもひとつの方法ですが、ジャイブ後に 艇が切り上がりやすくなるので、あまり勧められません。波に合わせた周期的な体重移動とティラー操作でローリングを抑えるのが良いでしょう。十分に風下に バウを向けて、デッドランからデッドランへのジャイブをすれば艇の角度の変化が小さくて 安定したジャイブができます。しかし、あまりジャイブの自信のない人はジャイブの替わりに、ラフ→タック→ベアとして向きを変えるほうが安全です。
 ブローチングが起こったらシバーして、ヒールを起こすのが良いでしょう。
 特に、帆走不能な強風では、メインセールを降ろし、ジブセールを巻くと転覆しにくいでしょう。
 クルーはジブシートを、スキッパーはメインシートを持って、万一落水しても艇から離れないようにします。
 何度も転覆を繰り返す場合には、無理に復元を試みずに体力を温存することに努めます。そのときにはシートで体と艇をつなぎ、艇より離れないようにしま す。

4.艤装

 ハリヤードやシートのチェックは本来陸上で行うべきものです。偶然にも切れかけているのを発見したら、直ちに予備のシートで補強して早めに帰着するとよ いでしょう。また、トラブル発生の頻度の高い艤装品については各艇が予備品を持っておくべきです。出艇後の艤装のトラブルは、海上では修理不能な場合が多 いので、陸上でのチェックを慎重に行いたいものです。

5.指導、その他

 艇団をつくり、単独行動は避けます。艇団の近くにはレスキューボートを待機させて常に監視を怠らないようにします。危険が予測されるとき、あるいは危険 に陥ったときはレスキューボートに集合合図を示す旗を掲げると良いでしょう。
 未熟なクルー、スキッパーは周囲がよく見えていないので、衝突したり、突風(ブロー)で転覆したりし易いので、特に厳重な監視が必要です。

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3.トラブル発生時に行うべきこと

1.トラブル発生時のヨットの対応

 ヨットでの事故は転覆や艤装トラブルなどによって操船不能になり、それがきっかけとなって起こることが多く、ワイルドジャイブや転覆による外傷がない限 り即死になるケースは稀です。つまり、転覆などの事故とまでは呼べない状況から最悪の結果に至るまでには多くの段階があり、その段階が進行して行くにつれ て重大な事故へと発展して行きます。では、以下にそれらの段階を順に挙げて対応策を述べます。

(1)転覆した。

(2)艇から離れないようにする。

 転覆後にまず考えなければならないことは、艇から離れない事です。強風時や波の高い時は特に離れやすいので、すみやかに艇から離れないように努力しなけ ればなりません(例えば、ライフラインで艇と身体を結ぶなど)。艇から離れると助かる可能性が低くなります。

(3)艇団でいる時は離れないようにする。

 単独になると発見されにくくなり、救助されにくくなります。

(4)身体の保護、体力の温存を考える。

 体力を失っては助かるものも助からなくなってしまいます。

(5)艇の復元を試みる。

 艇を復元し、コックピット内にいるほうが安全であり、かつ体力の消耗も妨げますが、何度も艇の復元に失敗していると、急激に体力を消耗してしまいます。 そこで艇の復元は難しいと判断したならば、無理に復元しないのも賢明な手段のひとつです。また、強風下では、転覆した艇のセールを降ろした方が復元させ易 いので、水中のセールを降ろしてから復元させてみるのも有効な手段の一つです。

(6)復元をあきらめたら救助を待つ。

 復元することをあきらめたなら無理をせず艇から離れないようにして救助を待ちます。この時、無理をして救助を求めるため艇を離れて最悪の事態になること が多いです。また、救助される可能性を高くするために次のような手段を使ってみると良いでしょう。

 1.風下に陸がある時、風当たりの良いものがあれば艇にそれをくくりつけて風に流され易くして、陸に近づくようにします。

 2.風上に陸がある時、アンカーやシーアンカーがあればそれらを付ける。なければ代用となりそうなもの(バケツなど)があればそれを付け、風下に流れに くくなるようにして、陸から離れないようにします。

(7)もし、艇から離れた場合

 まずできるだけ艇に戻る努力をしなければなりません。しかし、ライフジャケットを着用していると泳ぎにくいので、戻れないと判断した場合は無理をしては いけません。できるだけ力を抜いて水面に浮かび、流木等があればこれにつかまって、体力が消耗しないように努めるべきです。水を飲むと疲れるので、水を飲 まないようにします。

 漂流したら目立つことが大切なので、普段から目立つ服装(蛍光色のライフジャケットを着用する etc.)を心が掛けるべきです。また、最近アメリカ空軍などで使われている遭難用の蛍光発色剤が市販されており、それを携帯しておくと万一の時に役立つ はずです。

(8)希望を持ち、無理をしない。

 最後は体力と精神力、及び冷静な判断力が必要となり、必ず救助されるという希望を持ち、冷静に周囲の状況を判断し、無理せずに救助を待つことが大切で す。
 以上、トラブル発生より進んで行く段階とその段階で行うべきことを書いてきましたが、トラブル発生時にはレスキューボートの役割が重要になってきます。

2.レスキューボートの役割
  (重大事故が予測されたり、事故が発生したときの対応)
   (1)予測の段階での行動
      1.全艇に危険を知らせる。
        (口頭で伝わらない場合は、旗などを使って)
      2.念のため陸上と連絡を取る。
        (無線機などを使って)
      3.他大学のレスキューボートとの情報交換を行う。
      4.安全に帰着するための指示及び監視を行う。
   (2)事故が発生したときの行動
     まず、周囲の艇及び陸上に直ちに連絡する。
      1.一艇のみの救助
         現場に急行→艇員救助
         →可能であれば艇を曳航、不可能であれば艇を放棄
      2.複数艇の救助
         現場に急行→艇員救助
         →艇をアンカリングして流れるの防ぐ
         →一度に救助できないときは、発煙筒等を使用し現場が視認できるようにする
       レスキュー艇による救助活動を円滑に行うためには次のような備品を積載しておくべきです。
     (1) 予備アンカー
     (2) 救命浮輪
     (3) 発煙筒
     (4) 救命ブイ
     (5) 予備シート(多めに)

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4.天気図から読み取る風

 ヨットの事故のほとんどは強風によるものであり、その中でも多く見られるのは、出艇時にはそれ程でもなかったが出艇してからどんどん風が強くなってき た、というケースです。寒冷前線の通過に伴う突風もそのー例です。我々はヨットマンとして、テレビや新聞の天気予報を見聞きすることは当然のこととして、 さらにそこに自分の練習する水域の周囲の地形や風の性質を加味することによって自分なりの予報を組み立てなければなりません。その際、必要となる知識を
 (1)風が強くなる時
 (2)風が急変する時
の2点に絞って述べようと思います。当たり前の事ばかりですが、もうー度知識の整理をしてみてください。

(1)風が強くなる時

1.等圧線の密度によるもの

 風は気圧の高い方から、気圧の低い方に吹きます。気圧の高低の様子を、図にしたものが天気図で、気圧の等高線が間隔の狭い所では風が強く、間隔の広いと ころは風が弱いのが通常です。

 日本では気圧配置は大体、南西から北東に(つまり本州に沿って)通常一日で400kmぐらい移動します。そこで、今日の天気図の等圧線等を薄い紙に写し て、大阪の所を東京の所に置くと、明日の日本の大体の気圧配置が推測できます。こうしたとき自分のいる場所の等圧線の密度が濃くなるようであったら風は強 くなる傾向にあると考えなければなりません。

2.局地的気圧配置によるもの

 晩春から夏にかけて、太陽が強く陸地を照らすようになると、陸地の温度は上がるが海の温度はあまり上がらないため陸地と海の間に気圧の差が生まれ、海風 が吹き出します。内陸に南風が吹くような気圧配置のときは、海風はそれを助けるような形になるので南風はー段と強くなります。

3.風の日変化によるもの

 陸上の気圧は、太陽の照り方によって急激に変化しますが、海上の気圧はそれほど変化しません。
 それらがからみあって、通常風は早朝に弱く午後2時頃に強くなる傾向にあります。これを風速の日変化といい図2のようになります。これで見ると、7月の ある日、午前10時頃に2.5m/s の初心者向きの風なので出艇したら、午後3時頃には4.5m/s になったということもありえるのです。ここでいう風速は平均風速で、瞬間最大風速は通常、平均風速の1.5倍なので平均4.5m/s 風では最大風速は7m/s になり、初心者の走れる限界近くになるのです。

(2)風が急変する時

 性質の異なる気団が接近していて、その境界がある地点を通過すると、通過の前と後で天候も風も変わります。気団の接している境界を不連絡線といい、停滞 前線、温暖前線、寒冷前線、の3つがあります。

1.停滞前線

 前線の中で停滞しているもので、代表的なものとしては梅雨前線があります。いずれも長い間雨が降りますが風向の変化は急激ではありません。

2.温暖前線

 温暖前線は移動の方向が暖気団から寒気団に向かっているもので、通常低気圧の中心から右の方に向かいます。次にこの前線の特徴をあげます。
 1)温暖前線の通過する付近では、霧雨、層雲、霧を伴うことが多く、一般的に温暖前線に伴う雨は連続的に降るものです。
 2)温暖前線の通過の際には、気圧や温度や風の変化は際立って変わりません。
 3)温暖前線が低気圧に近いと、前線の両側で雨が降り、特に北側に悪天域が広く広がり強い雨が降り、南側では中心から離れると断続的な雨を見る程度で晴 れが多くなります。
 4)低気圧から遠く離れると、雨の範囲が狭くなり、にわか雨が多くなります。そして前線の移動は南より北で早くなります。

3.寒冷前線

 寒冷前線は移動の方向が、寒気団から暖気団のほうに向かっているもので、通常低気圧の中心から左の方向に出ています。寒冷前線の特徴は、
 1)寒冷前線が通過する場合には、にわか雨や雷雨を伴うことが多いです。
 2)寒冷前線の前面は不安定で突風を巻き起こすことがあります。
 3)典型的な寒冷前線が接近すると、まず積乱雲や大きな積雲が空のー方に堤のように現れて、まもなく全体を覆うようになります。この頃には突風が起こ り、南よりの風であったのが西または北よりの風に変わって強まり、気温も下がり、その前後からにわか雨や、時には雷等が起こります。その後、15分から 30分で雷が遠のくころになると、西の空に青空が出始め、まもなく天気が回復します。
 4)寒冷前線は移動速度が比較的速く、回復が早いのが特徴です。

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5.救命救急法(工事中)

工事中

6.実際のヨット事故の例

  はじめに

 ヨットセーラーならば,誰もが一度は危険な目に遭った経験があるはずです。その際、次々に起こってくる問題に対してどうして良いのか分からなくなって動 転してしまったことはありませんか?
 この章では実際に今まで起こったヨット事故の例をいくつか挙げ、その事故経過とそれらに対する原因、並びに予防法についてのべます。それぞれの事故を頭 の中でシュミレ−ションし、実際に自分が遭難者の状況に置かれた時にどう行動すべきかを考えながら読み進んで下さい。そうすれば、事故を防ぐ為のいくつか の安全原則が見えてくるはずです。そしてその原則を心に留めて置けば、もう少々の危険な目に遭っても落ち着いて対処できるようになります。
 Let´s try!
 

A.慶応大学ヨット部員の遭難事故

 昭和14年5月20日、慶応大学ヨット部は新入部員と中堅部員の練習のために横浜市山下町貯木場に集合しました。正午頃は晴で、南の風3m/s、天気予 報では「南西の風弱く、曇で暖かいでしょう。」と報じていました。午後2時、A級ディンギー9艇、ヨレ1艇の10艇で出艇しました。午後2時30分頃から 無風となりました。夕凪を恐れて帰路につきました。この頃、北から微風が吹きはじめ、北の空が灰色になったので全艇帆走し始めました。鶴見方面の空が黄色 味がかり、風にけむるように見えました。全艇3〜4m/sの風で貯木場に快走しました。その間2分、風上のかすみの一群から墨を流したような乱雲が沸き出 て、南南西方面に散って行きました。この時、鶴見方面の海上が急に波立ったと思う間に20m/sを越える突風が吹いてきました。
 風の変化は次の通りでした。
    午後2時40分 南南西の風     風速2〜3m/s
      3時00分 東に急転、南東の風 同上
      3時30分 北の風
      3時35分 同上        風速2〜3m/s
      3時37分 瞬時に北北東の突風 風速26m/s
      4時00分 北北東の風 風速19m/s
 遭難したA104号にはA君、B君、C君の3人が乗っていましたが、C君だけが助けられました。C君はこう語っています。「艇は良く走っていましたが、 帰り始めた時、セールがバタバタとあおられ艇が傾きました。A君がセールを降ろそうとしましたが降りず、艇は岸壁に向かってどんどん走り、岸壁から 50〜60mの所で転覆しました。」「転覆後、波が激しく艇から何度も離されましたが、先に艇に泳ぎ着いたA君に助けてもらいました。何度も艇から離れま したがまたつかまりました。100mくらい沖を走っていた本船も助けに来てくれそうになかったので3人で泳ぎだしました。私は岸壁に着き、つかまっていま した。近くにB君がいましたがA君はわかりませんでした。」
 C君は関東学院大学の学生に助けられました。
 B君は5月21日午後2時、遭難現場と思われる岸から100mの所で、A君は22日頃遭難現場と思われる所からやや沖でそれぞれ発見されました。 関東 学院大学も同様に練習していましたが、早めに帰着して無事でした。

 (考察)
 1.新入部員、中堅部員で行う練習としての練習場所の選択が適切でなかったと思われます。練習を行う部員の技量に応じて練習内容、練習場所を決めなけれ ばなりません。風力、風速を考慮して、トラブルが生じても岸の方に流れ着くとか、助けが求められるとかの対策を講じられる場所  で練習すべきです。

 2.セールが降ろせなかったということが問題ですが、激しい強風時にはメインセールを降ろしてパワーダウンすることによって転覆を避ける努力をするべき です。普段よりセ−ルはすぐに降りるようにリギンをしっかりと整備しておかなければなりません。

 3.艇から離れたことが事故の大きな原因です。転覆時には絶対艇から離れないようにロープで艇と体とを結ぶ等すべきです。

 4.天候の変化に気づくのが遅かったことも問題です。練習中は雲の動きに注意して天候の変化に気を配り、天候が悪化する兆しを察したなら早めに練習の中 止を決断して帰着すべきです。

 5.体力が続かなかったことも問題です。オフシーズンには基礎トレーニングをするなどして体力の増強をはかるべきです。


B.九州大学生遭難事故

 昭和15年(月日不明)、彦島沖(博多湾)で無人のヨットが発見され大騒ぎとなり、捜査の結果、頭部に打撲傷を受けた死体が見つかりました。この人は単 独で夜航海に出てジャイブの時にブームで頭を打たれたため、失神状態で海中に転落、死に至ったものと推定されました。

 (考察)
 ここでは、夜間に単独でしかもライフジャケットを装着せずに出艇するという自殺行為に近いことをしている為、事故が起こったのも当然と言えます。どうし ても夜間に出艇しなければならない時には以下に述べる事は最低限行うべきです。

 1.おおまかなセーリング予定(出発予定時刻、到着予定時刻、帆走予定コース)を関係者やヨットハーバーに伝えておく。

 2.いざという時の為に無線等で陸と連絡がとれるようにしておく。

 3.帆走途中に気象状況が急激に変化した時に避難する港を事前に海図で調べておく。

 4.暗闇の海面を安全に帆走する為の充分な備品を揃えておく。

 5.暗闇の中の帆走である為一つ一つの動作(特に強風下のジャイブ時)を慎重に行う。


C.同志社大学生の遭難事故

 昭和22年5月10日(不確実)、同志社大学ヨット部は関西学院大学ヨット部と定期戦を行う予定でした。しかし当日は朝から強風のためレ−ス実施は困難 だと思われ、OBはレ−ス中止を宣して大部分が帰宅しました。残った現役部員はレ−スを行うことを望み、レ−スを行うことにしました。何回目かのレ−ス中 に、激しい強風のために、西宮港の防波堤の南約400mの所で数艇が転覆しました。そのうちの1艇の1人は現場ですぐに沈み、他の1人は防波堤まで40m のところに泳いできて、ロ−プを持って泳いで来た救助者を前にして海中に沈んでしまいました。こうして2名の死者が出ました。

 (考察)
 OBの人達が、レース中止を判断するにはそれなりの理由があったはずです。現役が勝手な判断でレ−スを実施した事が事故の原因です。自分達の技量を余り 過信してはいけませんし、レースを行うときには確実な救助体制を整えなければなりません。


D.千葉大学生の遭難事故

 昭和24年9月9日午後7時30分に“ネプチュ−ン(全長4.5m)”は千葉県寒川から横浜港に向け出艇しました。午後8時50分頃、風速が10m/s を越え舵が故障しましたが、午後8時58分には直りました。直後に艇体が大きな波の上に乗り、艇を少し風下に向けたとたんに左舷真横から13m/sの風を 受け、艇は転覆してしまいました。海中に投げ出された全員はいち早く艇にすがりつき、セールを降ろし艇を起こしました。マストは、下端から1.5mの所で 折れていました。最年長のA君は「絶対に艇から離れるな。」と皆に注意していましたが、午後10時頃「救助を求めてくる。」といって艇を離れていきまし た。これを見てB君も「自分もいく。」といって一緒に1枚の敷板につかまって岸に向かって泳いで行きました。残った3人は折れたマストに天幕をかけセール として漂流中、翌10日午前7時頃、漁船に救助されました。陸に向かった2人は引き潮であったので容易に陸に近づけず、10日午前3時頃離れてしまいまし た。B君は、10日午前8時頃ネプチューンが救助されたところから南に1kmの所で漁船に救助されました。A君はそのまま行方不明になり、9月15日木更 津沖で死体となって発見されました。

 (考察)
 (1)夜の航海であったにもかかわらず、艇の整備が不確実であったためにマストが折れたりしています。夜の航海はできる限り避けるべきです。もしどうし ても航海しなければならないときには、事前に艇の整備をきちんと行い、非常時の避難港を決めておかねばなりません。また、セーリング予定をハーバーや関係 者に知らせておくべきです。

 (2)4.5mほどの艇に5名も乗っていた為、強風に対するバランスが悪くなっていたことが事故の原因だと思われます。艇の大きさに見合った乗員数で乗 るべきです。

 (3)最大の原因は2名が艇から離れ岸の方へ泳いでいったことです。このような時には全員が一か所に集まり浮力があるもの(ここでは転覆艇)と体をロー プでつないで離れないことが大切です。


E.浦賀ドック社員の遭難事故

 昭和25年11月19日はその前4〜5日続いた小雨がちの天気が晴れて、空には一点の雲もなく微風でした。しかし天気予報は前夜から突風のあることを警 告していました。午前9時、浦賀ドックヨット部員の3人は会社のヨットで猿島回航のクルージングに出艇しました。当日この3人は湾外の風波に十分注意を 払っていたらしく、平常持って行かないライフブイ2個を持ち、衣服も2倍着用していたそうです。正午頃空が暗くなり、30分ほど間欠的に激しい突風が続き ました。
 翌日、A君の母親が会社を訪れて初めてこのヨットが帰着していないことが分かり、午前8時30分から捜索が始められました。午前10時30分、千葉県君 津郡左貫八幡沖200mの海上にマストを折って船腹を出したヨットと、死亡後間もないA君と、数時間前に死んだと考えられるB君の遺体を発見しました。2 人はロープで胴を艇体に結び付けていました。C君は発見されなかったので、海に落ちた時重い衣服のため溺死したのか、2人を残して岸に向かって泳いだのか 不明ですが、発見された2人の様子から救援を呼びに泳いで行ったものと考えられます。

 (考察)
 (1)天気予報は突風が吹くことを注意していたのに、遠距離のクルージングに出てしまったことが事故につながっています。この日は出艇時に微風で快晴 だったので油断したのでしょうが、前線通過の際には天候は急変するので注意が必要です。

(2)遭難艇が発見されたのは死亡した直後でした。もう少し早く捜索を始めていれば助かったかもしれません。このクルージングの予定を誰も知らず、翌日会 社に母親が訪ねて来て初めて遭難に気づいたというのでは遅すぎます。クルージングの際には目的地と人数、帰着予定時間等の計画を事前にヨットハーバー、関 係者に知らせなければなりません。

 (3)この事故はロープで体とヨットを結び付けておくことの大切さを教えてくれています。泳いでしまったC君が発見されていないことを考えると、焦らず 助けを待つ方が体力も温存できるし、救助され易いのです。


F.修猷館高校ヨット部の事故

 修猷館高校ヨット部は、昭和30年4月29日合宿に使用する為のスナイプ1艇と12フィートディンギー3艇を合宿のある名島に回航しようとしました。当 日午前中は夜来の雨が続いていたので一旦は中止しようとしましたが、午後には雨もやみ部員も8名集まったので、合議の上全艇を回航することになりました。 出艇は午後3時30分、風向は北東、風速は4.4m/sでした。
 全艇一団となって防波堤を回り、航路に入り込む直前に大型木造船が入港してきたので、先行していた3艇は防波堤の内側に逃げ込みましたが、A352(遭 難艇)は防波堤外にはみ出されました。その後、風速は次第に増し引潮も速くなったので、各艇は最初に約束した集合場所になかなか着けませんでした。 A352は集合が困難と考えて、単独で目的地名島に直行することを他艇に連絡して名島に向かいました。
 その後各艇は単独行動に移り、12フィートディンギーA350とA334はトラブルを起こしたスナイプを救ったので、やや遅れて名島に向かいました。そ の時は既に日没後で先行したA352は見えませんでした。午後7時には突風が吹き、風向は北東から南東に急変しました。午後8時から1時間位の間に A350、A334、スナイプが名島に到着しましたが先行したA352は到着していませんでした。A352の艇員であるH君の遺体は5月8日に発見されま した。

 (考察)
 (1)この事故では強風に加えて引潮が状況を厳しくしています。出艇前には天候についての情報を充分に入手するべきですし、特に海の場合は波や潮流につ いての情報にも気を配る必要があります。

 (2)午後3時30分に出艇したのが問題です。又、“午前中は夜来の雨が続いていた”とあるのでいくら雨が止んだとはいえ、安定した天気だったとは言え なさそうです。出艇を次の日に延ばすか、もっと早い時間にすべきでした。

 (3)さらに大きな問題となるのは、それぞれの艇が単独行動をとったことです。このような状況に陥った時には集まって行動しなければなりません。

 (4)遠距離の帆走であったので、いざというときの為にセーリング予定をヨット部関係者に伝えておくべきでした。そうすることによって救助体制の対策を 迅速に行うことができます。


G.NHK局員の遭難事故

 昭和31年夏、A君は友人と共有していたディンギーを自分だけで使っていましたが、これを友人と使うため葉山から横浜に回航しようと思い立ちました。葉 山から三崎まではどう回航したか不明ですが、11月14日に三崎から横浜まで回航することになりました。
 最初、同行の予定の人が都合が悪くなったため、結局別の初心者B君を誘って出かけることになりました。三崎を出発するのは夕方になりました。この日、土 地の人が「沖は南西の風が強いから」と止めたにもかかわらず出艇して行ったそうです。三崎から剣崎に至る途中で、どうしたとかわからない間に艇は転覆して しまいました。
 二人は艇につかまって流されているうちにA君が寒さのためにまいってきました。そのまま二人は岩礁に着いたので艇から離れました。B君は岩礁に飛び上が りました。A君も一緒に別の岩礁に飛び移ったらしいのですが浜で待ってもA君は来ませんでした。翌日A君の捜索が始まりましたが、翌々日、流れ着いた岩礁 付近の海中で岩で頭を砕かれたA君の遺体が発見されました。

 (考察)
 (1)A君、B君共に不慣れだったことが問題です。技量が未熟な人だけで出艇することは非常に危険なので、必ずベテランの人にも同乗してもらうようにす るべきです。

 (2)夕方に出艇することは非常に多くの危険が伴います。できるだけ夜間のセーリングは避けなくてはなりません。まして、初心者だけで出艇するならなお さらです。

 (3)地元の人の忠告を振り切って出艇したことも問題です。その海面の事を熟知している人の忠告に耳を傾けて慎重に出艇するかどうか判断するべきです。


H.昭国高校生の遭難事故

 昭和32年4月14日午前11時35分頃、鹿児島県錦江湾で昭国高校の生徒4人が12フィートディンギー2艇で出艇しました。2艇は、北西から西北西の 追い風にのり、たちまち制限水域外に出て、帰港しようとして転覆してしまいました。4人は水泳に自信があったのか艇を離れ、風波のため1名が死亡、3名が 行方不明となりました。
 鹿児島県気象台の記録によると事故当時の風向、風速、天候は下記の通りです。
     時間    風向    風速(m/s)  天候
  午前11時    北西     6.7     曇り
    12時   西北西     7.3     曇り
  午後 1時   北北西     7.1     曇り
     2時   北北西     8.9     曇り

 (考察)
 (1)出艇時風速が7.3m/sと彼らの技術レベルを越えていたと思われます。自分達の技術レベルを正確に把握した上で出艇するか否かを決定するべきで す。

 (2)制限水域外へ出た事が大きな問題です。どの水域で練習するのが安全かと言う事を考えたうえで練習しなければいけません。

 (3)艇を離れ、泳いで岸に向かったのが最大の事故原因です。艇につかまり離れないという事が非常に大切です。


I.千葉大学ヨット部員の遭難事故

 昭和33年6月28日午後10時、千葉大学ヨット部の6艇は千葉港を出艇し合宿地勝山へ向かいました。途中風の強さに耐えられなくなったので、29日午 前8時15分頃引き返し始めました。艇団が帰港を決心した頃、A1058はセールが破れたのでこれを降ろし、マストだけで漂流していました。29日午前 10時35分から11時35分の間に艇団は千葉港に帰港しましたが、先に帰ったはずのA1058が帰港しないので捜索が始められました。
 A1058は午後3時30分頃ばらばらに壊れた状態で発見され、午後6時にはスキッパーA君が千葉港の赤灯台の所で意識不明のまま発見されました。ク ルーのB君は30日午後12時頃、赤灯台から約1000m南の防波堤の割れ目付近で頭部に致命傷を受けた死体となって発見されました。救助されたA君は A1058の様子を以下のように報告しました。
 A1058は指揮艇の帰着信号後、セールがクリューの所から破れ、それが大きくなったのでセールを降ろしてマストだけで追い風を受けて千葉港に向かいま した。マストだけのセーリングに慣れてくると、波のいい所を選びながら防波堤から150〜200mのところをほぼ防波堤に沿って赤灯台を目指して走りまし た。防波堤の裂け目を通り過ぎたころ、艇尾からの波で艇は前のめりに転覆しました。艇につかまって波を避けるのが精一杯で、そのうちに艇は防波堤の近くに 流されました。このまま流されるのは非常に危険だと思ったので、私はB君に「何かにつかまって艇から離れろ、艇を放棄しろ。」と叫び手にふれたオールをつ かんで艇を離れました。この時、艇は防波堤から数十メートルの所に近づいていました。私は何度か防波堤にぶつかりながら北に泳ぎました。途中で艇を振り 返った時、B君が艇を踏み台にして防波堤に上ろうとしているのが見えました。それがB君を見た最後でした。

 (考察)
 強風時にセールを降ろして転覆を防ぐことは、ヨットの安全上の大原則です。この事故は、それを守っていたのに起こってしまったところに問題があります。 強風時にセールを降ろせば、受ける風のエネルギーが減少し転覆しにくくなります。しかし、このときヨットは推進力を失ってしまうので波がある場合には流さ れますし、艇のコントロールもできなくなります。

 この事故のヨットも波を受けて転覆し、流されているうちに防波堤まで来てしまい、衝突の危険にさらされました。A君は艇から離れることでこの危険を回避 しようとし、B君は艇を踏台にして防波堤に飛び移ろうとした模様です。結果的に助かったのはA君でした。

 ヨットには安全確保の上での原則がいくつかありますが、それは絶対的なものでなく、その状況に応じて柔軟な対応をすることが大切です。この場合はセール を降ろさずに艇をコントロール可能な状態にしておいて、迫って来る防波堤を避けるべきでした。

J.慶応大学の遭難事故

 昭和36年10月19日午前7時頃慶応大学ヨット部の合宿責任者は、天気予報係の報告「曇り、南西または南の風、強まっても7m/sから8m/s(横浜 気象台)」を受け、また早朝より漁船が多数出漁しているのを見てレース練習を決断しました。(12フィートディンギー8艇、スナイプ級8艇計16艇が出 艇)午前8時40分頃風が強くなってきたのでレースは1回限りとし、スナイプ級の最後の艇が風上マークを引き上げるように指示されました。午前9時頃、ス ナイプ級に引き続いてスタートした12フィートディンギー級の1艇が風上マークを回って風下マークに向かって帆走中に転覆したので12フィート級ディン ギー全艇で艇を復元しようとし、午前10時10分頃これを復元し帰港の途に着きました。(このグループはその間に起きたスナイプの事故を知りませんでし た。)
 午前9時20分頃スナイプの最終艇S28号(スキッパーM君、クルーS君)は、強風のため2、3回失敗しましたが、スターボードタックのクローズホール ドで帆走中12〜13m/sのブローを受けて転覆しました。艇員2名は艇の傾きと共に風下側へ落ちたので泳ぎながら艇体につかまりました。クルーのS君は 艇首を回り風上側に行き、センターボードに乗って艇を起こしましたが、艇はスターボードの真横から風を受ける状態で起きました。S君は風上側で右舷側の水 中から艇内にはい上がろうとし、スキッパーのM君は風下側の横側につかまっていたので、風上側から上がるために艇尾を回って行きました。その際S28号は 折からの突風を受けて前進し始めました。S君が艇に乗り込もうとしたとき、M君が「フネを回してくれ。」と叫ぶのが聞こえ、振り向くとM君が艇尾から2m 位離れているのが見えました。S君は慌てて艇に乗り、タッキングして艇を回そうとしましたが、1人乗りでしかも強風であったため意のままになりませんでし た。何度も転覆したり起こしたりをくりかえし、帆走困難となり流されました。午前9時45分頃、S君一人を乗せたS28号は小型船に救助されましたが、M 君は行方不明になりました。M君は翌日の10月20日午前11時40分に遺体となって発見されました。

 (考察)
 (1)風が強くなってきたにもかかわらず、練習後“全艇が集合していっしょに帰着する”ということをしていないのが問題です。しかも最後の艇は風下マー クを引き上げるよう指令されていた為、さらに他艇より帰着が遅れています。同じスナイプの中での統制、スナイプと12フィートディンギーの間の連絡がとれ ていず、練習状況の改善が必要です。

 (2)ここでは転覆した艇の起こし方に問題があると思われます。転覆後は艇員は艇首につかまり、完全に艇首が風上に向いてから艇を起こさなければなりま せん。そうしなければ風を横から受け、再び転覆することになりかねません。また、艇が起きてから艇首の風下側から風上側に回る時には、艇首の方を回ってい くようにするべきです。


K.東京大学ヨット部員の遭難事故

 昭和36年10月19日(慶応の事故が起きたのと同じ日)、東大ヨット部は「風は7〜8m/sより強くはなるまい(横浜測候所)」との予報により午前8 時10分に出艇して練習を始めました。午前10時15分頃、スナイプS11号(スキッパーA君<3年>、クルーB君<1年>)は帰着の途中本船を避けよう としてジャイブする際に転覆し、そのまま流されて行きました。その時通りかかった喜栄丸(横浜港のポートサービスの船)がS11号を発見、曳航を始めまし たが、曳航ロープを結び直しているうちにS11号がまた流されてしまいました。A君とB君が艇のバランスを保つ努力をしている時に喜栄丸の船長が二人に早 く喜栄丸に寄るよう指示しましたが、グレーディング(S11号の備品)が流れ出し、A君はそれを拾う為に泳ぎだしました。風上に泳ぐのでなかなか進まずグ レーディングから1m位に近づいた時、A君の様子がおかしくなりました。これを見た喜栄丸の船長はA君の風下に近づいてロープを投げましたが、A君はこれ につかまらず波間に沈んでしまいました。A君の遺体は3日後の10月22日午前10時20分頃現場付近で発見されました。

 (考察)
 (1)本船を避けるのにジャイブせねばならない状況になる前にもっと早く衝突を避ける手だてを考えるでした。(強風下のジャイブは危険)

 (2)喜栄丸の船長の指示に従わずに艤装品を取るために艇を離れたのが問題です。そばに喜栄丸があったので艤装品をあきらめて喜栄丸に乗るべきでした。 又、急に様子がおかしくなったことから、急性心不全等で呼吸困難に陥り、落ちついて泳ぐ事が不可能になったと考えられます。普段から自らの身体の健康管理 にも気を配っておくべきです。

 (3)天気予報の情報を基にするのは原則ですが、天候というものは局地的に変化するということも常に念頭においておかなければなりません。


L.蒲郡高校生の遭難事故

 この日蒲郡高校ヨット部の卒業生1名、3年生5名、2年生4名、計10名は午前9時30分に三谷港に集合し、午前10時10分に出艇しました。そして午 前10時20分には水産試験場の南約200mの練習レースのスタート位置に着きました。この時は南南東2〜3m/sの風で晴れ、波静かで練習には危険はな いと思われました。午前10時30分頃、西の空に天候急変の兆候を見たので、本部艇から直ちに帰港するように指令を出しました。この時風は西に回り、にわ かに曇り、雨を伴った風が強くなりました。午前10時34分頃、港口まで100mの所で豪雨を伴った北西約20m/sの突風に遭い、スナイプ2艇のうち1 艇はシバーしたまま陸に流され、他の1艇は横倒しになりました。一度は艇を起こしましたが、再度転覆しました。この時A君はセンターボードに乗って艇を起 こそうとしましたが、B君(遭難者)は海中に落下し、すぐに艇から5〜6m離れて見失われてしまいました。その後A君は艇と共に流され、浮き流し網にかか り、次いで小割生け簀にたどり着き、水産試験場のボートに救助されました。この日は全員ライフジャケットを着けていませんでした。

 (考察)
 (1)この日の天候の変化は、典型的な前線通過の影響によるものです。微風で晴れていた空が急に曇り突風が吹き出すのがその特徴で、油断していると天候 の急激な変化に対処できず大変危険です。この高校のヨット部員達が出艇前に気象情報を聞いていれば、もっと迅速な対応が出来たはずです。

 (2)突風に襲われてからの操船にも不慣れが感じられます。強風時には転覆しないように素早くセールを降ろし、艇首を風上に向け、バランスをとります。 万一転覆したら、まず艇と身体をロープなどで結び付け流されないようにします。次に艇を起こしますが、何回試みても失敗する場合は回復をあきらめて体力の 温存に努めます。

 (3)いかなる場合にもライフジャケットを装着しなければなりません。


M.京都外国語大学ヨット部員遭難事故

 昭和62年2月24日、京都外国語大学ヨット部部員たちは、琵琶湖において25日より春季合宿を開始するために午後8時に琵琶湖にほど近い合宿所に集合 しました。今回の合宿は部員全体が揃わず8名の参加となっていました。午後9時からミーティングを開始し25日の配艇を発表しました。

              スキッパー  クルー
    J−26254   A(2年)  B(1年)
    J−24443   C(2年)  D(1年)
    J−24400   E(2年)  S(1年)
         あと、ほかに食事当番2名(1年)

 午後11時ごろ全員でテレビの天気予報を見ました。「晴れのち曇り、北北東の風(ただし寒冷前線の通過による突風に注意)」とのことでした。この後、消 灯、就寝の予定でしたが卒業生の追出しコンパの招待状の作成のため、就寝は午前0時すぎとなりました。

 25日は、午前6時に起床し、気象係が6時彦根地方気象台発表の天気予報を聞きました。「晴れのち曇り、ところによりにわか雪、降水確率30%、北西の 風強く、強風注意報発令中」とのことでした。これを気象係は数人に口頭で伝えました。朝食後、午前7時20分に艇庫に着き艤装を開始しました。午前8時に 着替え、全員で体操をし、午前8時30分に出艇しました。このとき西北西の風、風速3〜4m/sでした。そして、帆走練習を開始しました。午前9時には西 北西の風、風速約7m/sとなりました。この時点で主将は風が強くなってきて、また、これ以上強くなるかもしれないという考えから練習の中止を考え、艇庫 に少しでも近づこうと思い、艇庫に向かって帆走練習をしようと思いました。午前9時15分に主将は練習の中止を決定し、艇庫へ向かうようにと他の2艇にも 伝え、お互い離れないように艇庫に向かいました。しかし、直後の午前9時16分にJ−24443が転覆しました。すぐに他の2艇が救助に向かいましたが、 J−24400もバランスを失い転覆しました。この2艇は復元しようと努力しましたが強い風と波のために失敗を繰り返しました。このためJ−26254は 救助艇を取りに艇庫に向かいました。J−24443は途中で艇の復元をあきらめ完沈状態にある艇の上で救助を待ち、結局午前10時35分頃近くを通りが かった漁船に2人とも救助されました。

 一方、J−24400は午前9時55分頃まで復元しようと努力しましたが、失敗を繰り返しました。S君が船首につかまり風上に艇を向けようとし、E君が センターボードに行き復元しようとしました。また、2人が交替をして、E君が船首につかまりS君がセンターボードに行き復元しようとしたりもしました。午 前9時55分には、一旦2人ともセンターボード上で休憩をしました。午前10時3分には、再び艇を復元しようと努力しました。今回は半沈状態になった状態 でメインセールを降ろしマストに束ねたので、艇を復元させることに成功しました。E君が艇に乗り込み、降ろしたメインセールの整理をしていました。その 後、S君が船首を回って艇の横側から艇に乗り込もうとしましたが、強い風と波に叩かれ艇から離されました。艇はジブセールが絡み、メインセールは降ろされ ていたので帆走不能な状況でした。結局艇からS君は離されてしまい、E君はS君を見失い、E君は岸に流れ着き救助されました。しかし、S君は午前11時 40分頃、湖面に浮いているところを漁船に救助され病院に運ばれましたが帰らぬ人となりました。

(考察)
 (1)少人数であったにもかかわらず、少しでも練習艇を増やそうとするあまり救助艇を出さなかった事がこの事故の大きな要因です。救助艇は、ただ単に完 沈状態から救助するだけでなく、いざと言うときに乗員だけでも救助することができます。

 (2)24日の夜に午後11時に就寝する予定がちょっとした雑用で午前0時すぎとなり、また、25日の朝は午前6時に起床と、5時間程度しか睡眠が取ら れていません。もっと充分な睡眠をとらなければなりません。

 (3)25日、事故当日の朝、気象係が天気予報を聞いたわけですが、これを数人に伝えただけでした。これは全員に伝えるべきでした。

 (4)転覆したときに艇を復元しようとするのは当然ですが、何回か復元を失敗をし、体力がだんだん消耗してきたら艇の復元をあきらめ、体力の保持に努 め、救助を待とうとすることも重要です。

 (5)また、転覆したときに風や波が強かったら、艇から離されそうになりますが、一般に艇から離されると生きて発見される可能性が著しく低くなってしま います。ロープで体と艇を結ぶなどして艇から離されないようにする努力が必要です。

 (6)2艇が転覆したときにJ−26254は救助艇を取りに帰りましたが、動きのとれない艇をおいて離れてしまうことは問題があります。2艇がある程度 安定した状態になった後、救助艇を取りに帰るべきです。


N.山口大学ヨット部員遭難事故

 平成4年4月12日午前8時20分救助艇が秋穂港を出港しました。この時点では風速3〜5m/s、波は0.3m位でした。浜からも白波は見えず、風速 5〜6m/sであったため、4年生艇長たちの判断により、午前8時50分に470級・スナイプ級各5艇ずつ出艇しました。うち470級1艇は、出艇直後に 転覆し、すぐ着岸しました。残りの艇は引き続き練習を開始しました。午前10時頃、3230と27656が転覆したため、残りの艇はその周りに集合しまし た。この頃より風(7〜8m/s)、波(0.5〜1m)共に強くなってきました。残りの470級のうち1896と2718、スナイプ級の25622も転覆 し、27729はセ−ルが破れました。1896及び27656は艇を復元しましたが、メインセ−ルが破れていたのでジブセ−ルだけで着岸しようとしまし た。このとき救助艇が27656の救助に向かい午前10時50分曵航し秋穂港へと向かいました。午前10時30分頃25286が転覆し復元と同時にクル− のA君が艇から離れたので25287がA君を救助し、その際に25287のクル−のB君が25286に移りました。1896は着岸できず、他の470級と 共に救助艇の救助を待つことにしました。一方、27729は自力で着岸しました。

 午前11時3230が転覆し、続いて25622、25287も転覆し、25287のクル−A君(25286から乗り移ったクル−)が艇より離されまし た。2718がA君を救助し、2718のクル−B君が25287に乗り移り、復元しようと試みました。午前11時40分3230は復元に成功しました。午 前12時2435のクル−C君が25286の転覆を復元するために飛び込み乗り移りました。その後2435は転覆しました。救助艇は午前11時45分に 27256を着岸させた後、25622の救助に向かいました。この時救助艇は25287、25286、2435、2718、3230を確認、またこの時無 線機が波をかぶり故障してしまい陸との連絡が不可能になってしまいました。

 2435、25286は通りかかった新栄丸に救助されました。救助艇は25622の曵航を開始しました。2718は帆走していましたがタックできずに沖 の方に離れてしまいました。その後転覆し、まずスキッパ−のD君が、5分後にクル−のA君が艇より離れました。この時の風速は10〜15m/sで、波高は 2mでした。クル−のA君は近くを通りかかった共海丸に救助され、スキッパ−のD君が流された事を伝えましたが共海丸の航行自体が危ないため救助を諦めま した。25287は復元し佐波島に着岸しました。救助艇は艇庫前に到着し乗員は上陸しました。3230は午後4時40分タグボ−トに救助され、2718の D君のみが行方不明となり、翌日同海域で遺体が収容されました。

(考察)
 (1)自分たちの予想だけでなく、天気予報をきちんと聞いていればこれほどの荒天は天気図などから予測できたと思われます。

 (2)救助艇は1艇だけを救助し艇庫へ一度戻るなど不適当な行動が目立ちます。事故を起こした艇のクル−は何度も艇から離れその度に他の艇に救助されて います。このクル−を最初に救助艇が救助していれば事故を防ぐことができたかもしれません。救助艇は1艇だけに目をとらわれず常に全艇に目を配っておかな ければいけません。また、もっとはやくから艇体放棄をするなどして、人員の安全を優先するべきでした。そういう時は救助艇にアンカーがある場合、放棄する 艇が流されないように放棄艇をアンカーリングしておく必要があります。

 (3)せっかく積載していた無線が波をかぶって故障してしまい陸上へ連絡が遅れ、救助が遅れたのも事故を大きくした原因です。無線は濡れないように船室 の中で使用するとか防水を完全にするなどして常に使用できるようにしなければなりません。

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あとがき

 我々滋賀医科大学体育会ヨット部一同は、今回の事故を反省し、亡くなった嶋岡秀典君の霊に報いるためにこの安全対策マニュアル作成に乗り出した。普段の 練習ではいろいろなことに注意を払っているつもりであったが、何度も話し合いを重ねる中で、不充分であった点やさらに強化すべき点が浮き彫りになってき た。そしてそれらを総括してやっとここに我々の安全対策マニュアルを完成するに至った。しかし、完成してから新たに気付く点がまた次々に出てきた。つまり このマニュアルは完成品ではなく、あくまでもこれを出発点とするためのものであり、これを題材として安全対策というものについてもう一度話し合ってもらえ れば幸いである。
 すべてのセイラーがヨットを通じて素晴らしい人生を送られることを願ってやまない。

                            滋賀医科大学体育会ヨット部第15期主将
                                          浜本 徹

                                         平成5年8月

参考資料

  海上安全思想普及講習会Bテキスト     日本ヨット協会編
  救急医療スタッフのためのプライマリーケアマニュアル     谷村 仲一     へるす出版
  救急医学入門     高田 芳朗     講談社


琵琶湖における緊急時電話連絡先(局番0775)

大津水上警察官派出所 25−1415
堅田水上派出所 73−1463
警察署 110
消防署 119
柳が崎ヨットハーバー 24−1781
(滋賀県ヨット連盟)
大津赤十字病院 22−4131
大津市民病院 22−4607

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