コモリトウウ 小森桃塢著 文政10年(1827)
小森桃塢(1782〜1843)は、本名義啓、美濃国大橋家の出身であるが、幼時より神童といわれ18歳で京都へ遊学、伏見の医家小森義晴の養子となる。京都で蘭学塾(素珍館)を開き、基礎医学と臨床医学の直結を、また西洋医学の諸学説の総合化を意図したそれがこの『病因精義』である。 小森はほかに『蘭学枢機』、『泰西方鑑』、『病診要訣』などの書を出している。