平成28年4月5日
学長 塩田 浩平(しおた こうへい)

本日ここに、ご来賓各位のご臨席を賜り、教職員一同と共に平成28年度滋賀医科大学学部および大学院の入学式を挙行できますことは、本学にとって大きな喜びであります。

滋賀医科大学に入学された医学科100名、看護学科62名の皆さん、おめでとうございます。満開の桜も皆さんの入学をお祝いしているようです。また、新入生の皆さんを今日まで支えてこられたご家族ならびにご関係の皆様にも心からお慶びを申し上げます。

新入生の皆さんは、医師、看護師、あるいは医学や看護学の研究者になろうとする志を持って入学試験の難関を突破し、本学へ入学されました。いま皆さんが感じている喜びと新たな決意を忘れることなく、これからの4年間または6年間、勉学に励んでください。皆さんの大学生活が楽しく有意義なものになることを願っています。

また、大学院博士課程へ進学された35名、修士課程へ進学された8名の皆さん、ご進学おめでとうございます。皆さんが、医学と看護学の分野で様々なテーマの研究に取り組み、独創的な研究成果を挙げて医学と看護学の進歩に寄与されることを期待しています。


滋賀医科大学は、医学系の単科大学ですが、独自の医学教育・看護学教育によって信頼される優れた医療人を育成し、特色ある研究と高度先進医療の実践によって医学・看護学と医療の発展に貢献しています。また、本学は滋賀県で唯一の医学部であり、「地域に支えられ、地域に貢献し、世界に羽ばたく」を校是とし、地域医療の充実や地域医療に従事する医療者の育成にも力を注いでいます。
開学以来これまでの卒業生が4800名を超え、滋賀県は勿論、全国の医療の現場や大学で活躍しています。

学部教育の目的は、医学科では、国際水準の臨床能力と優れた人間性を備えた医師・医学研究者を育成すること、看護学科では、高い専門知識と卓越した技術を備え保健医療分野で活躍できる看護師、助産師、保健師などを育成することであります。

医学科のカリキュラムは、基礎学、すなわち人文科学、社会科学、外国語、生命科学入門などの教養科目に始まり、その後、基礎医学と臨床医学の科目を学習します。看護学科では、まず教養科目を学び、続いて基礎看護学、臨床看護学を学習します。両学科とも、最後の1~2年間は、病院現場での臨床実習が中心となります。カリキュラムは医師や看護師になるために必要な専門知識と臨床能力を段階的に習得できるように構成されていますので、各科目を着実に修めて進級していくように心がけてください。

学生時代に習得すべき医学と看護学の知識や身につけるべき技能の量は膨大ですから、医学部では自由な時間はそう多くありませんが、医療人となるためには、若い時に豊かな常識や倫理観、広い視野を培うことも専門知識の習得と同様に重要であります。本学ではクラブやサークルなどの課外活動が盛んであり、また、この滋賀の地は雄大な近江平野と琵琶湖の自然に恵まれ、数々の歴史遺産、仏教や古典にゆかりの深い寺社や名跡がたくさんあります。ぜひ学業の合間の余暇を見つけて、読書に親しみ、友人と共にスポーツを楽しみ、芸術や自然にも触れてください。


皆さんが卒業後に医師や看護師として接する人の多くは患者さんであり、心身に様々な問題や苦しみを抱えておられます。後天的に病を得た人も多いでしょうし、生まれつきの障害を持った方もおられます。そうした人々の苦しみを軽減し病気から解放するのが医療や看護の役割ですが、患者さんが受ける病気の苦しみを我々がすべて体験することはできません。そこで重要になるのが患者さんの立場を思いやる「想像力」ですが、実際には他人の痛みや苦しみを正しく理解することは容易ではありません。私は最近、伊藤亜沙さんという方が書いた「目の見えない人は世界をどう見ているか」という本を読みました。健常者から視力が欠落した状態が視覚障害者であると我々は単純に考えがちですが、伊藤さんは何人かの視覚障害をもつ方に接して、大変重要なことを発見しています。すなわち、視力のない人は、視覚をもった人間とは全く異なる感覚で周囲の世界を感じ取り認識している、ということ、言い換えれば、視力がないことは健常者から「見る」という能力や感覚が欠如した状態では決してない、ということです。例えば、我々は、目の前の景色を網膜というスクリーンに映った平面的な画像として感じ取りますが、視覚障害の方は、道路や建造物、山や谷などを立体的な俯瞰図として頭の中に描いて周囲の世界を認識しているとのことです。著者は、視覚障害者はある意味で健常者よりも豊かな身体の感覚(身体性)を備えている、と述べています。この書が我々に教えているのは、健常者といわゆる「障害者」は、完全なものと欠損をもったものという関係ではなく、互いに異なる身体の機能を持った「個性」の表れである、ということです。障害があるとすれば、それは彼らの肉体にではなく、我々が生活するこの社会の中にある、ということを考えさせられました。最近、パラリンピックがオリンピックと並んで注目されますが、近年のパラリンピックは単なる障害者の競技としてではなく、装具などによって新たな身体性と運動能力を獲得した人間が行う美しい競技として、我々を楽しませてくれます。

このように、新しい研究や多様なアプローチによる成果、新たな物の見方が、我々のイマジネーションを豊かにし、新しい気づきをもたらしてくれます。学生時代には、医学や看護学の学習だけでなく、幅広く勉強をして、自らの感受性や人間性を磨いてください。若い時に身につけたそのような教養が、将来医療人となったときに必ず役に立つはずです。


さて、本日、大学院では、博士課程と修士課程へ併せて43名の皆さんを迎えました。この中には、4名の外国人の方もおられます。大学院の数年間は、自らの興味とアイデアをもとに、自由に発想し、未知の課題の解明に集中できる貴重な時間であります。皆さんには、ぜひ困難と思われるテーマに果敢に挑戦していただきたいと思います。研究は順調に進まないこともしばしばありますが、そうした困難を自らの努力と工夫で克服した時に、研究者としての大きな喜びと達成感を感じることができるのです。

研究は、研究対象と研究する人間との格闘でもありますが、同時に、対象を深く研究することによって我々は新しい世界を発見し、自らも成長する喜びを感じることができます。ゲーテは「形態学論考」(Zur Naturwissenschaft ueberhaupt, besonders zur Morphologie, 1817)の中で次のように述べています。

自然を追究して行くと、やがて人間は自然の偉大さに限りない敬意を払うようになる。そしてそのとき、研究者は無限に拡がる二つのものを認めるようになる。その一つは、対象である自然の側における存在と生成の多様性であり、また、その存在と生成が織りなす多様に拡がる関係である。他の一つは、自然を観察する人間自身の側の無限に拡がる認識である。それは、研究者自身のもつ感受性と判断力に、新しい受け止め方や新しい反応の仕方を絶えず習得させながら、研究者を限りなく完成していく可能性である。このような、学問をする上での高度な喜びこそが、人生のしあわせを決定するものである。

皆さんがこれから行う研究は、その成果が科学や社会の進歩に貢献するものであると同時に、皆さん自身の人生に大きな意味を持つものとなります。ぜひとも個性的な研究に取り組み、知を発見し知を創造する喜びを味わってください。
本日入学された皆さんの学生生活、大学院生活が楽しく充実したものになることを心から祈念し、お祝いの言葉といたします。

本日は、誠におめでとうございます。